タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
もし、あの一枚が生まれていなかったら、その後の音楽の流れはどうなっていただろうと思わせるアルバムがある。
いわゆる「歴史を変えた一枚」というエポックメイキングな作品。それまで耳にしたことがないような革新性と誰もやってこなかったと思われる実験性を備え、時が経つにつれて評価が高まってくる。そして、そこから新しい流れが始まったと思わせてくれる。更にそれがそのアーティストのデビュー作となるとより一層その意味はより高まってくる。
1973年11月に発売された荒井由実(当時)のファーストアルバム「ひこうき雲」は、まさにそんなアルバムだった。
「正真正銘、自分だけのために作ったアルバムです」
先日、2018年3月17日、「武蔵野の森総合スポーツプラザ」(東京・調布市)で行われたコンサート「SONGS&FRIENDS・YUMI ARAI/HIKO-KI GUMO」のステージで松任谷由実はこう言った。
「まだプロモーションという言葉もない時代で、売れるとか売れないとかじゃなくて、正真正銘、自分だけのために作ったアルバムです」
音楽に限らず、歴史的な作品が必ずしも発表時にその後と同じような評価を受けたかと言うとそうでもない。あのアルバムを聞いた時の印象もまさにそういう類だったと記憶している。
これ、何、という戸惑いに近い感覚だろうか。
72年によしだたくろう(当時)の「結婚しようよ」が爆発的にヒットし、それまでアンダーグラウンドな音楽とされていたフォークやロックがメジャーな世界に浮上した翌年。井上陽水はデビュー二年目、「氷の世界」が出るのはこの後、73年の12月だ。これが売れなかったら福岡に帰るという背水の陣で出したチューリップの「心の旅」が半年かかって一位を獲得、かぐや姫の「神田川」が深夜放送から火がついてシングルカットされたばかり。長髪にジーンズの若者がギターを持って歌うというスタイル自体が目新しく、若者たちの音楽の新しい流れになろうとしていた時代である。女性のピアノ弾き語りというスタイルも珍しかった。「ひこうき雲」の憂いに満ちた神秘性、霧がかかったような空気感と水彩画のような情景感。上品で初々しいピアノ、それでいて対照的な風通しのいいカントリータッチ。ヨーロッパとアメリカがブレンドされたようなサウンドはこの音楽は何だろう、と思わせるアルバムだった。
何しろタイトル曲の「ひこうき雲」は自殺した少女を歌ったものだ。少なくともアイドル系や歌謡曲系の女性歌手のデビュー作ではありえない。
そういう意味では評価が決定づけられたのが74年に出た二枚目のアルバム「MISSLIM」だったように思う。ピアノの前に一人座ったジャケットが全てを物語っていた。そして、彼女の魅力に取りつかれたのがやはりピアノを学んでいた女性たちだった。ピアノという楽器の再認識。ピアノでこれだけの曲が書ける。レッスン教室でバイエルから始めるという常識が覆されたという衝撃がどのくらい大きかったかは想像して余りある。
「永遠の女子校的感傷」
3月17日のコンサート「SONGS&FRIENDS」は、30年来の松任谷由実のステージの音楽監督、キーボーディストの武部聡志が「100年後も聞き続けて欲しいアルバムの遺伝子を伝えたい」とプロデュースするシリーズの第一回。子供の頃からピアノを弾いていた彼はステージで「初めて聞いた時、雷に打たれたような衝撃を受けました。このアルバムを聞かなかったら音楽の道には進んでいなかった」と言った。
今も彼女の音楽を支えている彼が、「自分を変えた」アルバムを細野晴臣(B)、鈴木茂(G)、林立夫(D)、松任谷正隆(KEY)という当時のバンド、ティン・パン・アレイと共に演奏して彼女が歌う。同じように彼女の音楽に影響された次世代のアーティストが、アルバムの曲をカバーするという二部構成。ゲストには原田知世、家入レオ、SuchmosのYONCE、クレイジーケンバンドの横山剣、JUJU、久保田利伸、シークレットゲストで井上陽水が登場した。
溢れるような思い入れとアドリブを交えた今の解釈、時を経て再会したミュージシャンたちの心情。それは、一般的な名盤再現ライブとは一線を画したハートフルな関係性と音楽性豊かなライブだった。
松任谷由実は「ひこうき雲」「MISSLIM」「COBALT HOUR」「14番目の月」と荒井由実時代に4枚のアルバムを残している。今でもその頃の作品が聞き継がれているのは、その年齢ならではの個人的な世界が歌われていることもあるように思う。「永遠の女子校的感傷」とでも言えばいいかもしれない。一生で最も感受性が敏感な年代のアンテナが受け止めた身の回りの出来事。季節の変わり目や移り変わる風景とともに生まれた瑞々しく汚れなき歌の輝き。女性にしか感じられないことや歌えないこと。女性シンガーソングライターというのはどういう存在なのか教えてくれた。「荒井由実」の歴史的意味はそのことに尽きるのではないだろうか。
彼女は「SONGS&FRIENDS」の公演パンフレットで武部聡志との対談の中でこう言っている。
「ただね、わたしは結婚して、意識的に荒井由実から離れようと、まずはしたんですよね。『紅雀』というアルバムでは、あえて荒井由実時代のポップでキラキラしたところから外れようとして大人の女を目指してラテン系の渋いアルバムを作ったんです」
ユーミンが史上、どんな女性アーティストとも違うキャリアの重ね方が二つある。
一つは荒井由実から松任谷由実になって以降の作風の変化だろう。「私小説的作家」から「語り部的作家」へと言っていいかもしれない。誰にでもあてはまる恋のストーリーテラー。80年の「SURF&SNOW」に象徴されるリゾートライフから不倫まで。80年代から90年代というバブルに向かう日本の経済事情や社会風俗も反映した華麗で劇的な恋の物語は都会で暮らす女性たちの夢や憧れのようだった。
もし、戦後日本の復興期の女性たちに夢や憧れを与えたのが美空ひばりだったとしたら、女性が大学に進むこともキャリアとして働くことも普通になった70年代以降の日本の女性にとっては「ユーミン」がまさにそういう存在だったのではないだろうか。
2018年4月11日、デビュー45周年を記念した「ユーミンからの、恋のうた。」が出る。2013年の40周年の時に出た「日本の恋と、ユーミンと。」の続編。レコード会社の女性スタッフが選んだという前作に対して、今回は彼女自身の選曲。それぞれ3枚組計91曲に自分を投影する人は多いはずだ。
「これが見納めになったらいやだな」
もう一つの功績が「ライブ」だと思う。
コンサートの質を変えた。
ステージに象が登場したりエスカレーターやエレベーターやプールが設置されたり、果ては空中ブランコまで取り入れられた。エンターテインメントとしてのコンサートという大命題の追求。繊細なピアノ少女がライブの女王に成長してゆく。
「ひこうき雲」は、2013年にジブリの映画「風立ちぬ」の主題歌になって再び脚光を浴びた。
40年前の曲が「最新」の情報として独り歩きする。そこから離れたはずの「過去」が「現在」と一体になるという経験をした現役アーティストは多くない。彼女はどう対処するのだろうと思った。メビウスの輪のようになった時の流れをどう受け止めてゆくか。2013年のアルバム「POP CLASSICO」は、その答えのようなアルバムだった。「POP」と「CLASSICAL」。過去に戻るのでも否定するのでもなく融合され進化してゆく。
「ひこうき雲」の発売日に始まったそのツアーで彼女はピアノの前に座ることなく「ひこうき雲」もハンドマイクで歌った。それは、ライブアーティストとしての歌への自信と自負の表れのように思えた。
アルバム発売45年、「SONGS&FRIENDS」のステージでレコーディングメンバー、ティン・パン・アレイと歌い終え、彼らを見ながら「これが見納めになったらいやだな」といたずらっぽく笑う彼女はあどけない少女のようだった。
(タケ)