韓国で学んだ「ケセラセラ」の精神
―日台合作映画ということですが、台湾の印象はいかがですか。
藤井「台湾に行くのも、台湾の方とお仕事するのも初めてでした。日本人と台湾人がお互いに歩み寄っている感じがある中で撮影をするというのが、すごくおもしろかったです」
―映画にはジェイ監督や主演のワン・ポーチエさんをはじめ、台湾の方とはどのようにコミュニケーションをとっていたのでしょうか。
藤井「現場は台湾の言葉と日本語と京都弁、ときどき英語と、たくさんの言語が飛び交っていました。監督は英語も話される方で、私は台湾の言葉がしゃべれないので、(監督とは)英語と通訳さんを挟んで話していました。何か国語も話せる方がいらっしゃる中で、だれに何語を話していいか整理がつかなくて、みんな『違ったー!』みたいなやり取りをしてたりして。すごくそれが刺激的で楽しかったです」
―映画の中では、英語と京都弁を話していましたよね。
藤井「私は京都弁も話せないので、(英語も京都弁も)両方外国語みたいな、ちょっと遠い要素ではあったんですけど、新しい世界に踏み入れた感じがありました。いろんな言葉が新鮮でしたね」
―今回の映画もそうですが、藤井さんはグローバルな活躍が印象的です。英語はあまり自信がないとのことですが、韓国語はいかがでしょうか。
藤井「完璧かはわからないですが、日常的には使っています。もう韓国での活動を始めて6年目に入るので。バラエティー番組とかは通訳なしで参加しています。(そこで)問題ない程度には話せますね」
―韓国での活動はどうでしょうか。日本と違う部分はありますか。
藤井「韓国で学んだことはすごく多くて。『ケセラセラ』の精神を学んだというか。日本っていろんなことをきっちりしていて、それに慣れていたんですけど、韓国に行ったらいい意味でルーズというか、決めきれてない中で何が生まれるか......。何も決めていないままスタートするというのを経験することで、すごく気持ちが自由になりました。それが現場でも生きる気がして。いろんなことに柔軟になれた気がします」