まだ人類が知らないアイデアはたくさんあるに違いない
『判断力批判』は美学的判断力と目的論的判断力について論じており、この道徳論的証明が登場するのは後者においてである。遺伝子が生き残るという「目的」を考えつかないまま、世界を眺めると、この世界があたかもなにかの目的を持って構造化されているようにみえることが、不可思議な謎として浮かび上がる。
評者はカントをおとしめているわけではない。進化的思考をしないというお約束の下で思考するというゲームとして『判断力批判』を読めば、彼の作品は、いま読んでもとても面白い。
このような事例をみると、人間の知識の発展というものが、どのように起こるのか洞察を得ることができる。以前にはまったく考えつきもしなかったアイデアを思考に導入することで、焦点が一気に転換することで、世界が装いを一新して立ちあらわれるのである。そのようなアイデアの代表例として、評者のような文系人間でさえ、進化、遺伝子、脳科学、ゲーム理論などを挙げることができる。物理学などのハードサイエンスの世界でも同様のアイデアを挙げることができるだろうし、さらに重要なことは、我々人類が知らないアイデアがまだたくさんあるに違いないことである。
ところで、『判断力批判』の美学的判断力を論じた箇所も、進化というアイデアを織り込むことで、だいぶ見通しがよくなることを指摘しておきたい。この作業については、興味のある読者に取っておくことにする。このように現代の視点から古典を読み直すことは、本来の読み方ではないのかもしれないが、なかなか愉しい時間の過ごし方である。
経済官庁(課長級) Repugnant Conclusion