ベートーヴェンのピアノ三重奏曲の中で最も有名
これは半分だけ正解です。ベートーヴェンは確かに「自由な作曲家」でしたが、パトロンがいなかったわけではありません。ゲーテと散歩しているときに、すれ違った王族に頭を下げなかったことでゲーテに驚かれた、「誇り高きベートーヴェン」ではありますが、ちゃっかりというかしっかりというか、「年金」と呼ばれるスポンサー料を、いくつもの貴族から受けていました。
しかし、ベートーヴェンの活躍した時代はナポレオン戦争の真っただ中でした。もともと没落気味だった貴族は戦費の負担や一族の人間の戦死などが重なり、音楽家への年金どころではなくなる場合が多く、ベートーヴェンへの援助は次々と打ち切られるのです。彼が、「市民階級の作曲家」になったのは、そういった時代背景もありました。
しかし、その中でほとんど唯一、生涯にわたって、ベートーヴェンを援助した人がいました。ルドルフ・フォン・エスターライヒ、「ルドルフ大公」と呼ばれた人です。在位わずか2年だったハプスブルグ皇帝レオポルト2世の末っ子で、父は音楽をあまり庇護しませんでしたが、ルドルフ大公はベートーヴェンに師事し、自らも演奏・作曲をし、そして、ベートーヴェンと師弟・パトロンといった関係を超えて生涯の友人となるのです。大公は病弱で、若干43歳で亡くなっていますが、ベートーヴェンは彼の生前に、たくさんの曲を献呈し、また彼からも献呈されています。
ベートーヴェンのピアノ三重奏曲 第7番 Op.97は、「大公トリオ」と呼ばれていますが、ベートーヴェンがルドルフ大公に捧げた数多くのなかの1曲であり、彼のピアノ三重奏曲の中で最も有名な曲ともなっています。ピアノの生徒だったルドルフ大公のためでしょうか、ヴァイオリンとチェロに負けず劣らず、ピアノが大変活躍する曲となっています。その有名なメロディーは、放送などにも使われることが多く、芸術を愛好した大公と、生涯変わらぬリスペクトを返したベートーヴェンの友情の旋律は、現在でも世界中で愛されているのです。
本田聖嗣