正座という苦役 吉田戦車さんが茶会に持ち込んだ秘具とは

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法事での悶絶

   ネットで類似商品をいくつか見た。「足は痺れにくいとは思いますが、かなり不安定です」「骨組みがガッシリしていて座る面も広め、おデブな私でも大丈夫そう」等の口コミが並んでいる。吉田さんが購入したものと同じ形状、近い価格で「正座革命」なる商品もあった。「深く座れば本体はほとんど隠れます」というから、なるほど革命に近い。それを正座と呼べばの話だが。

   痒いところに手が届く、痛いところに目が届く。およそアイデア商品の要諦は、顧客の立場でモノを考えることである。

   それにしても、秘具が要るような座り方が「正」とされるのはどういうことか。床にクッションを敷き詰めた畳文化のなせる業だろうか。体をいじめる正座は不合理ゆえに、抑制美を醸し出す所作として茶道や日舞で珍重されているのかもしれない。

   広まったのは江戸時代、正座と称したのは明治期らしい。戦後に至るまで、学校での罰則として使われることもあったから、もともと苦役という共通認識はあるわけだ。

   正座イスが活躍する場面といえば、圧倒的に葬儀や法事ではないか。厳粛な席で、しびれの絶頂期に限って焼香の順番が回ってきたりする。中高生までなら照れて済ますこともできようが、大人が悶絶しながら遺影に歩み寄る姿は見るにしのびない。

   近頃は畳の上に低い腰掛を並べ、法事の参列者を苦役から解放している寺もある。静岡にある実家の菩提寺が実際そうしている。寺公認のズル...ではなく対策、いや顧客サービスとして。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)

コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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