在宅看取りに必要な条件とは――何より、本人・家族と関係者が思いと情報を共有すること――
井上さんから著者への率直な問いかけを通じて、二人の間で今回の事案の振り返りが行われ、次のような課題が浮かび上がった。
(1)家族と父親との間で、終末期であること、どうやって死を迎えたいかといった話し合い(アドバンス・ケア・プランニング)がまったくなされていなかった。また、そのためのきっかけづくりが、総合病院を退院する前に主治医等によってなされなかった。
(2)呼吸苦は、肺がんによるものではなく、既往のCOPD(慢性閉塞性肺疾患)によるものだった可能性がある(その場合、対処方法が違ってくる可能性があった)。
(3)退院前カンファレンスが開かれなかったなど、父親の病状等についての情報が総合病院から在宅医に適切に引き継がれていなかった。
(4)在宅の看取りには、患者、家族、そして医師の三者それぞれの「覚悟」が必要だが、今回の事案の場合、退院させた総合病院の医師や在宅医を含め、それが乏しかった。
(5)死亡前日から当日までの間、在宅医ないし訪問看護師が赴くべきタイミングに訪問しておらず、家族への指示も不十分であった。
どうしても父親の死に納得できない井上さんは、在宅医や退院した総合病院の主治医などと面談の機会を持ち、それぞれの言い分を聞いた。
それによれば、次のような事情がわかる。
(1)在宅医は、退院段階で、余命は2週間程度と判断し、そう切羽詰まった状況ではないと思っていた。それが結果的に、死亡前に訪問する機会を失することにつながってしまった。
(2)総合病院側として、これまでほとんど治療履歴のない患者であったことや、急速に病状が悪化していった経過から、退院前カンファレンスを開くなどの対応は時間的に難しい事情があった。
こうして明らかとなった課題や事情を通じて感じることは、在宅看取りがうまくゆくためには、在宅医の技量は無論のこと、何よりもまず、(1)患者本人や家族がどうしたいと思っているのかが明確になっている、(2)患者の病状その他の情報が関係者の間で共有されている、そして、(3)患者・家族と医療関係者の間で一定の信頼関係ができあがっていることが重要と感じた。
こうした条件を満たすためには、どうしても、ある程度の時間と関係者の意識的な努力が必要であろう。病状等の理由から、時間が限られている場合には、その分、特別な努力が払われる必要もあろう。
本書では、何度かアドバンス・ケア・プランニング(ACP)という言葉が出てくるが、やはり、あらかじめ元気なうちから、本人の意思を尊重し、家族や医療介護者が一緒になってケアの目標や具体的な治療・療養方針について話し合う、こんな取組みが一般化することが必要だと思う。
なかなか「死」を話題にすることは簡単ではないだろうが、より納得ができる「死」を望むのであれば、避けて通ることはできないと感じた。