実は「超ブラックプロデューサー」?
おそらく、コーヒーの発明よりも、弾薬売買よりも、カジノ経営で稼いだバルバヤは、ここで、オペラのプロデューサーとして動き始めるのです。初めは、おそらく、カジノ併設の歌劇場にもっと人を呼ぼう!という動機からだったかもしれませんが、何事にもエネルギッシュなバルバヤは、オペラ・プロデューサーとなると、ヒットメーカー、つまり才能ある作曲家を見つけ出し、作品を書かせ、それを大ヒットにつなげるという、敏腕プロデューサーとしての力を発揮し始めるのです。ミラノ、ナポリの劇場のプロデューサーだけでなく、遠くウィーンの2つの歌劇場のプロデューサーとしても活躍しました。ナポリでの彼の住居は「バルバヤ宮殿」と呼ばれていました。
彼に見出された作曲家は、ガエターノ・ドニゼッティ、ヴェインツェンチオ・ベッリーニ、そしてドイツ人のカルル・マリア・フォン・ウェーバー、そして、当時最大のヒットメーカー、ジョアッキーノ・ロッシーニなどです。彼らと契約を結び、次々と新作オペラを世に出し、ヒットさせました。彼がプロデュースを手掛けた作曲家とその作品は、現代でも頻繁に演奏されるオペラの名レパートリーとなっています。
しかし・・・新作が待ち遠しい聴衆の声にこたえた辣腕プロデューサー、バルバヤの契約内容は、作曲家にとっては、過酷なものだったようです。上記の作曲家の中で、ベッリーニとロッシーニはフランスに「逃亡」していますし、ロッシーニはそこで「引退」しているわけですから、さしずめ、黒いコーヒーをアレンジしたドリンク、カプチーノを発明したバルバヤは、現代で言えば「超ブラックプロデューサー」・・・だったのかもしれません!
本田聖嗣