週刊新潮(2月1日号)の「生き抜くヒント!」で、五木寛之さんが意外な告白をしている。雲散霧消という言葉を、85歳の今に至るまで雲散「夢消」と思っていた、というのだ。冗談でなければ、文壇大御所による覚悟のカミングアウトかもしれない。
「この歳になっても知らなかったことや、間違って憶えていたことが無数にある。私は外地育ちの人間なので、ことに言葉に関してそういう事例が多い」。この謙虚さ、見習いたい。なお、ここでいう外地とは日本統治下の朝鮮半島である。
冒頭でそう断った五木さん、ゆうべ見たばかりという「とてもいい夢」に話を進める。
「人にはあまり言えないようなエロティックな夢」で、「目覚めたあとも、しばらくその余韻にひたってハッピーな気分が続いた」そうだから、よほどの淫夢、いや艶夢であろう。ところが内容がよく思い出せない。そこでひらめいた言葉が「雲散夢消」だった。
「往く雲のごとく、夢まぼろしは消え去っていく」と。
そこからが老練の書き手らしいところで、「ふとかすかな違和感が心をかすめた」作家は広辞苑で真実を知るに至り、ガッカリする。「中学生のころから七十有余年、ずっと『夢消』だと信じこんでいたというのはどういうことか」
昔から「遊び」の宝庫
間違いやすい四字熟語は多い。絶体絶命は「絶対」になりがちだし、単刀直入が「短刀」、独断専行が「先行」、決選投票は「決戦」になったりする。
思うに、手書きからキーボード入力の時代になったこともあろう。たとえば四字を二字ずつ変換すると、とんでもない「創作」が生じる。目の前のパソコンで試してみたら、大器晩成が天文用語のような「大気伴星」、起死回生は紀行文風の「岸快晴」に化けた。
そうそう、危機一髪も油断できない。もちろん、髪の毛一本ほどのところまで危険が迫る状態を言うが、これを勢いで「一発」とやらかす。
ちなみに、映画007シリーズの最高傑作とされる1963年の「ロシアより愛をこめて」は、日本では「007危機一発」のタイトルで公開された。誤用や勘違いではなく、銃弾の一発をかけた洒落だった。四字熟語は半世紀前から「遊び」の宝庫だったのだ。