フランスは、バレエの国です。バレエの発祥はルネッサンス期のイタリアだとされていますが、宮廷の婚姻関係などに伴ってフランスに輸入されると、王制時代のフランスは宮廷外交の一つの手段として、バレエを発展させます。有名な太陽王ルイ14世は、バレエに熱狂し、その役柄の一つとして太陽を演じたことから、太陽王という名を奉られたぐらいです。
「バレエの音楽はたいしたものがない」だった
フランスは革命により王制を打倒してしまいますが、バレエの伝統は残りました。私の母校であるパリ国立高等音楽院は、正式名称は、パリ国立高等舞踊音楽院であり、政治体制こそ180度転換したものの、宮廷の中で行われていた音楽とバレエを保持する、すなわちフランス語で「コンセルヴァトワール」ための学校、という位置づけです。
今日取り上げるのは、フランス・バレエ史の最後を飾るといってよい作品、レオ・ドリーブの「コッペリア」です。
ヴェルサイユ宮廷の中で行われていたバレエは、中身は変質していきました。現代のわれわれも目にする「ロマンチック・バレエ」となったのです。バレエダンサーの衣装に身を包んだ専門家が、その鍛えられた技術でもって、人間業とは思えないエレガントかつ動きのあるバレエを演じ、お金を出せばそういった舞台芸術を見ることができるようになった市民階級は、熱狂します。
クラシック音楽が宮廷の中にあるときには、「古典派」と呼ばれる形式を重んじたスタイルが流行していたのが、革命後、市井の作曲家が市民のために音楽を書くようになると、文学などと呼応し、「ロマン派」の時代がやってきたのと軌を一にしています。
しかし、バレエにおいては、あくまで踊りが主役で、ロマン派の時代に大きく飛躍を見せたクラシック音楽の発展とは無関係に、踊りのサポート役としての音楽しか必要とされませんでした。あけすけに言えば、「バレエの音楽はたいしたものがない」という状態だったのです。
中にはアダン作曲「ジゼル」のように、音楽も、バレエも素晴らしい作品が作られましたが、現代の消費される映画やテレビドラマの音楽が、時に名曲はあっても、多くは人々の記憶にさえ残らなくなっている・・のと同じく、バレエ用の音楽は消費され、顧みられることが少ない状態が、パリでは続きました。