現役ジャーナリストへの遺言
貧しい農村に生まれ、軍国少年として育って海軍経理学校にて終戦、ほどなくリベラルに転向。報道機関の現場、デスクそして編集局長を経て、日本のマスコミ界を支える立場に。氏の自伝は、貴重な証言を数多く含み、戦後史のある一面を明らかにする。そこには戦後日本人の価値観の相克があるが、同時に、報道の自由が謳歌されている。
読み通して改めて思う。人の一生はまことに長く、尊い。これを論評するなどという不遜なことは到底出来ない。但し、氏の姿勢が常に「自由」に奉仕するものであったことは、賞賛に値すると評者は思う。
朝日新聞が生ぜしめた慰安婦誤報に憤る保守派の方々も、リベラルの真骨頂を見せた氏の一生から学ぶものは多かろう。氏が叱咤する日本ジャーナリズムの問題点は、保守派の報道批判と表裏をなすからである。
欧米諸国では、保守・リベラルの溝が深まり社会が二極分化して映る。そこにポピュリズムが浸透する危険性が露呈しているが、我が国でもその萌芽が見られる。対立を緩和する契機は、こうした先人の生き様に学び、真実と自由の尊重という価値を共有することにあるのではなかろうか。戦後の左派が戦中の軍部の虚偽を暴いて勢いを増したのと同様、昨今の保守派もまた、左派陣営の虚構を暴くという営みから求心力を得てきたのである。
2011年に岩波現代文庫のために書き下ろされた本書は、Amazonで見る限り、実質的には氏の最後の単著である。氏はその経験から紡ぎ出された「ジャーナリズム哲学」21項目を列挙して本書を締め括っている。
例示しよう。その(4)に曰く「...日本のプレスの自由は世界トップクラスである。ジャーナリズムは、その自由を使い切っていない」 その(5)に曰く「...戦時中、少数派を非国民扱いしたジャーナリズムは今も多数派になりたがる。...」 その(9)に曰く「ジャーナリズムの基本は、オピニオンよりオピニオンの基となる事実の報道である。...」 その(20)に曰く「...世論を無視してジャーナリズムはない。世論追随ではジャーナリズムになりえない。...」
この21項目は、報道に従事するすべての方々への原氏の遺言にして、最後の檄文と言えるのかも知れない。
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)