ロッシーニ、引退したがった理由
しかし、その実態は、過酷なものでした。ヒットメーカーというのは、アーティスト単独でできるものではなく、そこに必ず名プロデューサーがいます。オペラの母国、イタリアでは、各歌劇場とプロデューサーと作曲家の連携が緊密であったために、つぎつぎとヒット作品が生まれ、人気の作曲家も生み出すことになります。その流れに乗って、ロッシーニも次から次へとヒット作を連発し・・・時には、忙しすぎて序曲を作る暇もなく、自分の他のオペラの序曲を転用したらそれがまたヒット作となった「セビリアの理髪師」(参考:速筆ロッシーニの確信犯的「再」転用は代表作に オペラ「セビリアの理髪師」序曲)のような作品もありました。
そんな忙しい生活のさなか、ロッシーニは引退を決意します。ヒットメーカーとしてお金は十分に稼いだので、生活には困りません。ただ、人気が落ちていないので、このままイタリアにいるとオペラ作曲家としてずっと自転車操業をしなければならない・・・一般的に「引退」は、自分の才能の枯渇や、体力の限界を感じてするものですが、ロッシーニは正反対、実に贅沢なことに、絶頂期に引退することにしたのです。なぜなら、彼は音楽と同じぐらい大事にしている「美食」という趣味があり、そちらを極めてみたいという欲もあり、とにかく時間が欲しかったのでしょう。