「町人貴族」が日の目をみなかったシシリエンヌ
近代のフランスの作曲家、フォーレは、19世紀の終わりに、同じフランスのモリエールの劇「町人貴族」の付随音楽として、新しい「シシエンヌ」を書き上げました。モリエールのオリジナルの劇は、ルイ14世が、外交的にぎくしゃくしていた当時のオスマン帝国トルコをからかうために、宮廷作家モリエールに銘じて書かせた喜劇で、当時の音楽はリュリが担当していた、堂々たる「宮廷上演作品」でした。フォーレの頭にも、当時流行していた「トルコ趣味」があったのかもしれません。ともあれ、古い時代に流行した「シシリエンヌ」という形式で、曲を書き上げたのですが、残念ながら、フォーレが音楽をつけた劇は上演されることはありませんでした。
次に、ベルギーの作家、「青い鳥」などで有名な、モーリス・メーテルランクの原作「ペレアスとメリザンド」を英語訳してロンドンで上演するときの音楽を作曲してくれ、という依頼が、フォーレに舞い込みました。1893年にパリでオリジナルのフランス語で上演されていた劇としての「ペレアスとメリザンド」は、その独特の世界に感激したフランスを代表する作曲家、クロード・ドビュッシーを刺激し、彼がオペラ化を思い立ち、5年後にはほぼ出来上がっていました。イギリスの女優が、ドビュッシーに、英語版での劇上演の時にもオペラから音楽を抜粋して使わせてくれないか、と依頼していたのですが、ドビュッシーはこれを拒絶します。そのため、同じくフランスを代表する作曲家フォーレに改めて劇付随音楽を依頼したのです。
ところが、フォーレはこのころ、音楽院の作曲家教授や教会のオルガニストとしても忙しく、とてもオーケストレーションをしている時間がなくて、弟子のシャルル・ケックランに丸投げします。フォーレも細かい指示を与えたといいますが、ケックランもよい仕事をし、フォーレ自身の指揮によって、劇音楽、ペレアスとメリザンドは1898年、ロンドンで初演され大成功をおさめます。
こうなると欲が出たのでしょうか、フォーレは19曲あった劇音楽から3曲を選び、そこに、2曲を追加して、純粋な管弦楽組曲「ペレアスとメリザンド」Op.80として、独立させたのです。そして、そこに加えられた2曲のうち、1曲が、「町人貴族」で日の目を見なかった「シシリエンヌ」なのです。
既に、チェロとピアノのアンサンブルとして出版されてはいましたが、この「管弦楽組曲版 シシリエンヌ」が、大ヒットとなり、今では、フォーレの代表曲として数えられるまでになっています。
そこはかとなくアンニュイな雰囲気が漂う、ゆったりとしたメロディを持つ「シシリエンヌ」は、シチリア島と、この曲自身の複雑な成立の経緯を内包して、はるかな歴史に思いをはせるような、ノスタルジーを感じさせます。
本田聖嗣