ロックやR&Bの熱心なファンであることを明かす
ただ、「吉田拓郎ラジオでナイト」はそうしたこれまでの番組とも少し違う。
何よりも伸び伸びとして明るい。自分の日々の暮らしぶり。どんな毎日を過ごしていて、どんな食生活をしているのかまで、奥様とのやりとりも含めた私生活を語ってゆく。一人しゃべりの心地よいテンポと軽妙なユーモアは独壇場だろう。
そして、最も違うのが音楽についての話が多いことではないだろうか。
これまでの取材やインタビューでも自分の過去の作品について話すことはほとんどなかった。話を振られても「忘れた」「覚えてない」ということで終わってしまう。1月14日の放送では「春を待つ手紙」を書いた経緯や名うてのギタリストが二名参加したレコーディングの様子を、二人のプレイを自分でギターを弾きながら事細かに話していた。
ローリングストーンズのアルバムを題材にしながらのブルースについての解説は、未だに持たれている「フォークの貴公子」や「70年代フォークの巨人」というイメージがいかに的外れであるか、あまりある説得力があった。いかに彼がロックやR&Bの熱心なファンであるのか。どうして今までこういう話をしたがらなかったのだろうと不思議になるほどだった。
それは、自分の作ったものを語ることに潔さを感じなかったこともあるのだろう。世間的にはそうは思われていないのだろうが、人一倍ファンに気を使う気質から、そんな話をしても喜ばれないと思っていたのかもしれない。でも、番組の中で紹介した映画「ファミリーツリー」「ショーシャンクの空に」「しあわせの隠れ場所」を紹介する時もそうだったように、音楽や映画の話をしている時が一番生き生きしている表情が伝わってくるのはラジオなればこそだ。
吉田拓郎ほど世代によってイメージが違うアーティストも少ない、と書いた。
それは、同時にどんな音楽を作って来たのか誤解の度合いも大きいということにつながってゆく。メディアに登場することやインタビューを受けることがなくなってしまったのも、そうしたギャップを埋めることが面倒になってしまったこともあるのだろう。「ラジオでナイト」はそうした周囲のことに捕らわれず「素」の自分を楽しんでいるようにも聞こえるのだ。「時代を動かす男」になる前の彼はこうだったのだろうとすら思えてくる。
俺は飽きっぽいからーー。
これも彼がことあるごとに口にする台詞だ。
去年の4月の放送開始からそろそろ一年。筆者はradikoのタイムフリーと言う新兵器で皆勤聴取中。でも、「飽きる気配」は感じられない。むしろ、長寿番組に向けてここからが本番という印象すらある。「最終章をラジオで締めくくる」という番組開始時の言葉どおりになりそうだ。
2016年の秋に行われた70才になって最初のツアー「LIVE2016」は、心から音楽を楽しんでいるような、これまでにない清々しいステージだった。71才の誕生日直前に始めた「ラジオでナイト」もそんな舞台になっているのに違いない。
吉田拓郎は、今が一番自由なのではないだろうか。
(タケ)