走り続けることで、得られたこと
本書では繰り返し、走り続けることで得られる様々な効用が述べられている。そのうち、評者自身も大いに賛同する、いくつかを紹介したい。
その一つが、「頭がすっきりすること」。
「仕事をしていると、頭のなかにはさまざまな情報や感情、タスクや知識が溜まっていき、パンパンになります。次第にヒートアップしてきますし、そのあげく、思考がしばしばフリーズするような状態に陥ります」
「けれども、走ることによって頭がリフレッシュされ、クールダウンされ大事なものだけが残るのです。走るというきわめてシンプルな時間は余計なものをふるい落とし、どうでもいいことを忘れさせてくれます」
本書で著者と対談した西本武司も、面白い発言をしている。
「どんな問題も走ると、だいたいのことが解決するんですよ。『渋谷のラジオ』を立ち上げるときも難問だらけで、途方に暮れていても、翌朝その宿題を持って走りに行って1時間もすると、なぜか答えが出る。出ない場合はもう30分余計に走る。答えが出たら急いで家に帰ってメールを打つみたいな。だから、僕は走れるあいだは大丈夫かもしれないって思っています」
もう一つは、「自分に自信ができてくること」。
「『走ること』は自分にとって必要不可欠だと頭ではわかっていても、じつは家を出るときには億劫さを感じることがあります」
「億劫な気持ちは厄介ですが、当然のもの。だからこそ、それを振りきるように、自分のやりたいことをやりぬく。意識的にがんばる必要もあるということです。毎日、一歩踏み出すことはできている自分がいれば、ほかのことを億劫に感じる自分に対して、少しは気持ちが強くなるでしょう。『億劫なことくらいいくらでもある』と自分に言い聞かせ、毎日走ることを習慣にしてしまう。それはある種の自分の力になります」
そして、「ひとりきりになって、自分自身に向き合うこと」。
「走っている時間は、誰とも一緒ではなくて、たったひとりきりになる時間です。この『ひとり』ということが、ある種の精神的なレッスンになったのだと思います。じぶんとゆっくり向き合い、自分自身を知る時間です」
「走るという習慣を通じて自分の強い部分や弱い部分に向き合ってきました。ライフスタイルのなかに取り入れることで、ランニングも読書や仕事や家事などと同じように積み重なり、ほかのものと化学反応を起こして、ゆるやかで豊かな心の成長をもたらすのだと思います」
「走り始めはつらいし、『寒いな』、『暑いな』などという程度のことしか感じていません。ですが、『今日の体調はどんな感じ?』と問いかけ、自分の身体に耳を澄ませています。走りに慣れてくると、『虫が鳴いているな』、『今日は空気が澄んでいるな』、『ああ、梅が咲いてきたな』などと、ふだん使わない感覚のほうが働くようになります」
これらは一見、取るに足らない地味な感覚と受け取られるかもしれないが、評者にとっては、実によくわかる感覚だ。ランニングの習慣を有する者が走り続けることを止めない理由は、こんなところにあるのではないかと思う。