今年は、冬の北半球では寒さの厳しいところが多く、日本も年内から厳しい寒さが続いていました。年末の冬至を過ぎて、日の長さは少しずつ長くなっているわけですし、お正月は「新春」といいますが、厳しい寒さのピークは2月ごろ、まだまだ本当の春は先ですね。
今日は、世界で一番気温の低い村などがある寒い国、ロシアの作曲家、アレクサンドル・スクリャービンの作品を取り上げましょう。彼の初期のピアノ作品、「ピアノソナタ 第2番」です。
卒業試験では、最高位の「金メダル」
アレクサンドル・スクリャービンは、1872年、まだ帝政だったロシアの、ロマノフ家の出身地ではあるが首都ではなかったモスクワに生まれています。彼が幼いころに亡くなった母親がピアニストを目指していたこともあって、アレクサンドル少年は幼いころから楽才を発揮し、また一方で虚弱な体質であったので、当時のロシア社会は対外的には戦争を繰り返し、国内では帝政に対する不満が高まりつつある・・というきな臭い状況ではありましたが、軍隊などに進むことなく、十代の前半で、名門モスクワ音楽院に入学が許可されました。
西欧ヨーロッパに比べて遅れていたロシア音楽を発達させるために設立されたモスクワ音楽院ですから、アレクサンドル少年も作曲とピアノ両方を学びますが、ピアノの即興演奏などがなにより好きだった彼は、作曲をサボり、結局、ピアノ科だけで卒業することになりました。同窓生に、やはりピアニストとしても一流で、後にロシアを代表する作曲家となるセルゲイ・ラフマニノフ(参考:超一流ピアニストでもあったラフマニノフの2つの版が存在する「ソナタ 第2番」)がおり、ピアノ科の卒業試験では、最高位の「金メダル」を分け合うという優秀な成績を二人とも収めました。
ピアノが好きで好きでしょうがなかったスクリャービンは、練習のしすぎ・・・といえばかっこいいのですが、若気の至りで、友人たちと、「どちらがうまく弾けるか競争」などをやったために、彼はたびたび、手を痛めてしまい、仕方なくピアノを弾くのを一時中断しなければならないことがありました。そこでようやく、楽譜に自らの作品を書きつける「作曲」に本腰を入れることになります。
あこがれに満ちた音世界を作り出すことに成功
しかし、ピアノから決して離れることのなかったスクリャービンは、同窓生ラフマニノフほど管弦楽作品を多く残すことはなく、やはりほとんどの作品が、ピアノ独奏曲で占められていました。
「ピアノソナタ第2番 嬰ト短調 Op.19」は、彼が20歳だった、1892年ごろ着手され1897年に出版されています。
ピアニストとして、おそらく、それ以前の古今東西の名曲は弾いていたであろうスクリャービンは、19世紀のロマン派の時代のロマンチックな作風からスタートします。しかし、決してショパンなどの模倣ではなく、初期作品からすでに彼独特の個性、すなわち、何か至高の存在にあこがれる情熱、精神的高みを目指す修業的な精神、といったものが聴き取れます。
後年の彼は、新興宗教的な新しい思想にハマる・・という行動を起こしますが、この曲を聴くと、若いころから、何か新しい世界を求めてやまない思想を持っていたことが、うかがえます。その点、20世紀になっても、伝統的なロマンチシズムを濃厚に湛えた作風で、「遅れてきたロマン派」と言われたラフマニノフとは、対照的です。
世紀末の社会不安や、もともとロシアの気候が持つ寒くて辛く長い冬、こういった環境の中でピアノを弾くことに喜びを見出していたスクリャービンは、高度な技巧を必要とするものの、それまでになかった、新しく、あこがれに満ちた音世界を作り出すことに成功したのです。
ゆったりした第1楽章と急かされるような第2楽章――。すべて演奏しても10分強で終わってしまう、構造もそれまでのピアノソナタと比べれば斬新な「ピアノソナタ 第2番」ですが、冒頭から流れる、一種官能的なメロディーとハーモニーは、大変魅力的で、聴くものを即座に「スクリャービン・ワールド」にいざないます。
現在は「幻想ソナタ」の愛称でも呼ばれ、広く親しまれています。
「冬来たりなば、春遠からじ」、そんな季節に、ぜひ聴きたい、春へのあこがれをも感じさせてくれる美しい曲です。
本田聖嗣