上から目線にならない物腰
彼らに共通していたのは「世代感」だったように思う。
戦争を挟んで価値観が変わった。それまでの軍歌や文部省唱歌で育った大人とは違うという音楽観。上の世代にはお手本となる人が見当たらない。誰もが見様見真似で音楽を始めていたという共通項もある。
そういう中で異彩を放っていたのがかまやつひろしだった。異彩というのはいい意味でである。GSで一時代を築いた彼は、GSブームが衰退後、ソロアーティストとして活動するようになる。10歳以上若いフォーク系のアーティストが集まるイベントやコンサートに積極的に参加、GSとフォークから始まった新しい流れの架け橋となっていった。7歳年下の吉田拓郎と組んだ「我が良き友よ」は、その象徴的なヒットだろう。
筆者がかまやつひろしと初めて会ったのは70年代の初めに彼が文化放送の「セイ!ヤング」のパーソナリティをしていた時だ。豊富な音楽の知識はもとより、時にはサングラスにミリタリールック、時にはフランスやイギリスのブランド、それでいて高級感をひけらかさないロックミュージシャンならではのセンス。何よりも、絶対に上から目線にならない物腰と飄々としたフットワークの軽さに惹かれた。どんな若いミュージシャンに対しても偉ぶらない。年を重ねることが権威につながらない。
80年代の初めだろうか、彼について「栄光の年齢不詳」という文章を書いた記憶がある。音楽業界の中で、こんな人になってゆきたい、と思う数少ない人だった。
かまやつひろしと最後に話したのは、2015年の2月だった。筆者が担当しているFM COCOLOの「J-POP LEGEND FORUM」で一か月間彼の軌跡をたどった。5週間に渡って登場してくれた最後の台詞は「ライブハウスを回って若いバンドと出会いたい」だった。
1970年に彼が発売した初めてのソロアルバム「ムッシュ―/かまやつひろしの世界」は、世界でも珍しい一人多重録音のアルバムだった。今聞いても瑞々しさは、失われていない。でも、取材でお会いしても最後まで「ムッシュ」とは呼べず「かまやつさん」だった。
あんな風に生きたい、という気持ちは今も変わっていない。
今のうちに話を聞いておきたい。
そんな人はたくさんいる。
(タケ)