誘致まで成功した1940年「幻の東京オリンピック」はなぜ中止になったのか

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   ■幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで(橋本一夫 講談社学術文庫)

   2020年東京オリンピック。誘致に成功したのは、実は3回目である。

   90年前の1930年、東京市長永田秀次郎は、1940年の紀元二千六百年事業として、東京オリンピックを構想した。本書は、東京オリンピックの招致が正式に決定されてから1938年に返上されるまでの物語である。

   東京大会は開催国が返上を決定した唯一の事例である。それはなぜ起こったのか。招致から返上に至る過程では、日本の国際的地位の向上とオリンピックをアジアで初めて開催する意義と、日本の対面を守りながらオリンピックをほかの国で友好的に開催することとの葛藤があった。主役は二人のIOC委員、柔道の開祖、嘉納治五郎と、ケンブリッジ大学を卒業した華族、副島道正伯爵である。

東京36対ヘルシンキ27

   1932年、ロサンゼルスオリンピックの年に、永田は正式招請状を提出する。「オリンピックの炬火を東洋に向かわしめよ。国民間の理解を増進し、友好を来さしめよ。」とある。1940年大会は、東京かローマか、あるいはヘルシンキか?アテネ、オスロ、そしてベルリン、三度にわたるIOC総会が調整の舞台となった。

   日本はムソリーニに働きかけ、ローマは開催を辞退する。日独防共協定交渉と並行してヒトラーに理解を求めるとともに、クーベルタン男爵の応援を得てラトゥールIOC会長の支持取りつけに成功する。7月31日、ベルリン総会の投票結果は、東京36対ヘルシンキ27。日本はイタリア、ドイツのみならず、アメリカ、イギリスの支持を得ていた。

日中戦争とナチスのポーランド侵攻

   しかしながら、日本政府の意思は違った。文部省体育課長の岩原拓は「オリンピックは紀元2600年記念事業とは明確に切り離すことが必要」と述べた。

   動いたのは嘉納治五郎だ。各方面の有力者を集めた組織委員会の創設に尽力し、12月7日、オリンピック懇談会にこぎつける。その場で決定した大会開催の基本方針には「運動競技の国際大会にとどまらず国民精神の発揚と古今諸文化の示現に留意し挙国一致の事業とする」とある。陸軍の意向を忠実に反映したものであった。しかし、この方針が諸外国の不審、疑惑を招くことになる。

   内外情勢が急変するのは翌37年。7月7日の日中戦争勃発である。

   こんどは副島道正が動く。近衛文麿首相に政府の協力を懇請するが返答は曖昧。日本の擁護者クーベルタンが9月に逝去する。

   「日本の使命はこれまでのいずれの国よりも遥かに重大である。東京オリンピックは、古代欧州文明の所産たるヘレニズムを最も洗練されたアジアの文化芸術と結びつけるものである。」とのメッセージを残して。

   副島は、内外の情勢に照らして、日本が東京オリンピックを返上する可能性をラトゥール会長等に示唆する。一方、嘉納は、翌年3月のカイロIOC総会で組織委員会の立場を説明し、各国の理解をなんとか得る。二人のあいだの齟齬にはそれぞれに意図があった。その後、7月、厚生大臣木戸幸一がオリンピック中止を決定する。

ヒトラーのように宣伝道具にするようなことは...

   嘉納治五郎は、スポーツ精神が日本、そしてアジアに広がるよう、軍部を説得してでも大会を成功させたいと思っていた。副島道正は、ヒトラーがオリンピックを宣伝の道具にするのを見て、東京大会が二の舞になることを心配していた。

   政治は、時としてオリンピックに影響を与え、後のモスクワ大会のように介入することさえある。世界の多くのIOC委員が悩み、行動していた。そのひとりが、アメリカのIOC委員アベリー・ブランデージ。嘉納治五郎と親しく、日中戦争勃発後の各国のボイコット運動を牽制した人物であり、1964年東京オリンピック時のIOC第五代会長である。

   ブランデージ会長は「七つの海を結びつけ、オリンピック大会が全世界のものである証左として、東洋で行われるこの大会を、平和を愛好する若人の喜びの祭典として、皆さまに捧げる。」と開会式で演説した。氏は、副島、嘉納の二人を懐旧しメッセージを読み上げたのではないか。

   副島は、日本の面目をまもるとともに、クーベルタン男爵の応援を得て開催が決まった経緯を重んじ、将来のためにオリンピック精神を守ろうとしたのではないか。そのことが多くのIOC委員の心に刻まれ、64年の東京オリンピックを招致するうえで、大きな財産となっていたのではないか。

   2020年の東京オリンピックに向けて、80年前のいきさつを知っておくための良書である。

経済官庁 ドラえもんの妻

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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