タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
こんなに「無私」な中島みゆきを聞いたことがあるだろうかーー。
発売になったばかりの新作アルバム「相聞」を聴いていてそう思った。
無私、エゴがない。自分のことはどうなってもいいから相手のことを思いやる。アルバム「相聞」に流れているのはそういう「愛おしさ」のように聞こえた。
時代によって作風が変わったが彼女は変わらない
中島みゆきは70年代・80年代・90年代・00年代とそれぞれの10年間で一位を持つ唯一のシンガーソングライターである。自分で歌った作品だけでなく、提供曲の一位ということになると2010年代も加わってくる。それだけの記録を持っている作家もいない。
ただ、彼女に比例がないのは、そうした記録だけではない。それぞれの時代の一位の曲の作風が違うということの方が大きいと言って良いだろう。したがってその人が聞いた時代によってイメージが違うということになる。
例えば、70年代の「わかれうた」80年代の「悪女」は「ふられ歌うたい」「わかれうた歌い」という異名をとった曲だ。70年代の名作アルバム「生きていてもいいですか」の中の「うらみ・ます」がそうだったように、女性の情念や辛辣な本音を歌う人、男性にとっては「手強い女性」というイメージがあるのだと思う。
90年代の曲はそうではない。「空と君のあいだに」や「旅人のうた」は「女」「男」という性別を離れた「僕」という人称で歌われていた。「漂白の人間歌」とでも言おうか。00年代の一位は、あの「地上の星」である。中高年サラリーマンの応援歌として記録的なロングセラーになった。もはや70年代のイメージは消えていたと言って良さそうだ。
とは言え、彼女が時代によって変わっていったのかというとそれも違うだろう。表現のスタイルは変わっても根底に流れていることは変わらない。「恋に破れた女性」「男性に裏切られた女性」「行き場をなくして旅に出た人」「報われない中高年サラリーマン」というそれぞれの時代の歌の主人公たちに共通するもの。思うような人生を送れない力なき者。そういう人たちの救済を歌ってきたのが彼女でもあるのだと思う。