44歳で志らく師匠の弟子に
――落語との出会いは、大学時代だったそうですね。
私は田舎の生まれで、寄席なんかないし、生の落語を聞くチャンスなんてありませんでした。高校の文化祭で見様見真似でやると、ウケちゃったもんだから、大学で落研に入ろうと思いましたが、医学部にはなかったため、自分で作りました。
――医学部卒業後、落語への思いに変化はありましたか。
国家試験を終えた後、医者になるか落語家になるか悩んでいると、結論が出ないまま、研修が始まって。24時間勤務のような研修医生活でバタバタしているうちに、気がついたら40を超えてどっぷり医者をしていました。
「健康落語」の前には、健康に関するフリートークも。
――なぜ、プロの落語家を目指そうと思われたのですか。
立川志らくの「らく塾」(編注:志らく師匠が主催する社会人対象の落語塾)に参加して思い出したといいますか(笑)。44歳の時に弟子にしてくれ、と。志らくは、「客分」扱いの弟子でどうですかと。名前もあげるし、稽古もします、ただプロじゃないから高座には上がれませんよ、との条件です。私は1週間に1回、志らくの自宅で稽古し、週1本ずつ落語を上げました。1年少し経つと、50本くらいに到達して。志らくの所属事務所の社長から「プロでやりませんか」と言われ、しばらく返事できずにいると、志らくはしびれを切らし、「あの話どうなったの」と聞くので、咄嗟に「お願いします」と言っちゃったのです。志らくは私のためにかばん持ちの役目を免除してくれました。46歳の時、正式に前座になりました。
――師匠は今でも、白衣を着る仕事をお持ちでいらっしゃるそうですね。
ええ、BS日テレで毎週月曜放送のレギュラー番組「Dr.らく朝 笑いの診察室」に出演しています。毎週1つの「健康ことわざ」を通して、疾患のメカニズムや特徴、予防法を楽しく解説しています。