イタリアの19世紀は、「オペラ」というジャンルが、人々の話題の中心でした。オペラの上演は人々にとって、現代における演奏会と、芝居と、映画と、テレビと、インターネット動画をすべて合わせたぐらいの楽しみであり、エンターテイメントの中心でした。
ということは、オペラを作るほうも、現代の映画やテレビ・ドラマの制作者やユーチューバーと同じく、「常に新作をもとめられた」わけであり、優秀なプロデューサーの監督下、次から次へとヒット作を要求される・・というような状況に置かれました。
この連載でも登場したロッシーニは(第36回 大人気作曲家の迅速な仕事は最大傑作を生みだした)、イタリアだけでなく、全ヨーロッパ中にその名声が鳴り響きましたが、あまり忙しすぎたせいか、自分の別のオペラの序曲を2度ならず3度も転用する、ということをやっていますし、30歳を境にオペラ作曲家ら引退してイタリアからも離れてしまい、その後はパリで美食三昧という生活を送りました。それぐらい、イタリアで人気作曲家は「こき使われた」のかもしれません。
速筆で有名なロッシーニは、代表作「セビリアの理髪師」を2週間で書き上げた、といわれますが、序曲は別のオペラからの転用でしたし、これは30歳までの現役期間に39のオペラを書き上げた彼の「最速記録」でした。
今日は、それを上回る作曲のペースを誇った、イタリアのガエターノ・ドニゼッティが登場、彼のオペラ・セリア(シリアスな正調オペラ)の代表作「ランメルモールのルチア」を取り上げましょう。
「本当の速書きの達人」
イタリアの、「ブラック企業的オペラ制作システム」に飲まれていた、とはいってもドニゼッティは信じられないほどの速筆作曲家でした。事実、自分で「私のモットーは『最速!』だ」と周囲に漏らしていたようです。1797年11月29日、北イタリアのベルガモに生まれたドニゼッティは、若いころから音楽を学び、才能にほれ込んだ恩師にみっちりと音楽を仕込まれ、10代後半からオペラを作曲し始め、33歳の時の作品、「アンナ・ボレーナ」で頭角をあらわします。1848年に50歳で亡くなるまでに作曲したオペラの数は、なんと70作。
もちろん現代ではほとんど上演されない初期の作品もありますが、特筆すべきは「オペラ・セリア」と呼ばれる真面目かつシリアスな作風のものでも、対照的な「オペラ・ブッファ」と呼ばれる快活かつユーモアあふれる歌劇でも、ヒット作品を生み出していることです。
通常セリアが得意な作曲家はブッファが苦手だったり、ブッファでヒット作を連発する作曲家は意気込んで作ったセリアが全く評判にならない・・ということがよくあります。ドニゼッティはただ単に「粗製乱造」の作曲マシーンだったわけでなく、熟練の技がなせる「本当の速書きの達人」だったといえると思います。