ヨーロッパ発の「ハロウィーン」も仮装やパーティーといった部分がすっかり日本でも認知度を上げました。
本来はキリスト教以前のヨーロッパの土着宗教が1年の始まりの前の日、つまり日本風に言えば「大晦日」に設定していた各種の神事・行事が、キリスト教に取り込まれる時点で「諸聖人の祝日」の前日の夜、英語で言えば「オール・ハロウズ・イブ=ハロウィーン」と呼ばれるようになったものです。本来宗教的には排除される妖怪や魔物の姿がちらつくのも、「唯一神が定着する以前の文化」をそれとなく感じさせます。
日本でも10月末はかなり日が短くなりますが、欧州の国ではこの時期でサマータイムから「通常時間」こと冬時間に切り替えるので、もともと緯度の高い国では秋で昼が短くなっているのに、1時間さらに日没が早まり、いきなり「夜が突然やってくる」印象を受けるのも11月初旬の風景です。
今日は、夜が早くなった・・つまり、夜が長くなった季節に聴きたい、夜に想う曲こと「夜想曲」、英語で「ノクターン」という曲のジャンルとその創始者を取り上げます。
作り出したのはショパンではなく......
ノクターンというと、最も有名なのが「ピアノの詩人」ショパンの作り上げた20曲を超える作品が有名ですが、「ノクターン」というピアノ曲のジャンルは彼が作ったものではありません。ショパンより38歳年上の、ジョン・フィールドという音楽家が作り出した形式なのです。
クラシック音楽の音楽家としてはめずらしい、アイルランドのダブリンに1782年生まれたジョン・フィールドは、音楽一家に生まれたこともあり、早くから音楽の英才教育を受けました。そして、彼が11歳のころ、イギリス帝国の首都、ロンドンに一家で引っ越します。19世紀になろうとするこのころのロンドンは、歴史的な意味では「産業革命直前の胎動期」であり、クラシック音楽においては「ピアノの爆発的発展前夜」という位置にありました。
練習曲集によって名を残した、当時ピアノ製造も手掛けていた、作曲家でありピアニストのムツィオ・クレメンティの助手のような仕事に就いたフィールドは、彼と一緒に当時の「改良された最新のピアノのデモ演奏」などで、パリ、ウィーンといったヨーロッパ各地を回ります。
師匠クレメンティと別れてロシアのサンクト・ペテルブルクに残ったフィールドは、モスクワでのピアノの教え子、アデライデパーチェロンと結婚し、二人で演奏旅行などをしながら、ロシアに定住します。音楽後進国ロシアで熱烈に歓迎され、のちに「ロシア国民楽派の祖」、といわれるミハエル・グリンカなどを門下から輩出したフィールドでしたが、寒さゆえの深酒がたたったのでしょうか、酒におぼれて54歳でモスクワの地に没します。
その後のロシア音楽にも影響を与えたフィールドでしたが、ピアノ曲のカテゴリーにおいて、「ノクターン」というジャンルを創始したことです。
18曲ほどのノクターンを残したフィールド
18世紀初頭に発明されたピアノ・・このころの楽器は現代のものとは違い、現在では古楽器扱いの「フォルテピアノ」と呼ばれています・・・ですが、19世紀の初めから金属加工技術の発展に伴い、急速に改良が進み、現代の「ピアノ」に近づいていました。
改良の一つとして、現代では単に「ペダル」と呼ばれる、ダンパーを上げて音を響かすことのできる「レガートペダル」などが装備されたことに伴い、音を滑らかにつなげることが容易になったピアノを用いて、フィールドは、一つの和音を、オクターブの範囲を超えて分散して弾く「アルペジオ」という技法を左手部分に取り入れて、「ノクターン」の伴奏型とします。それに、たゆたうような右手の旋律を載せて、まさに、「夜に想う」というネーミングにピッタリな、どこか夢見心地の「ノクターン」という音楽を作り出したのです。まさに19世紀以降のピアノのために書かれたような音楽でした。
全部で、18曲ほど(中には当初ノクターンとされなかった曲もあるので、諸説あります)のノクターンを残したフィールドは、ショパンなどの偉大なフォロワーを呼び、ピアノ曲のジャンルとして、「ノクターン」は定着してゆくのです。
まだオーディオ装置のなかった時代、ファミリーの音楽は、伴奏とメロディーを容易に同時に弾ける「ピアノ」という楽器が中心でした。ピアノを習った人間がやさしく弾ける音楽としても、「ノクターン」は人気となりました。難しいパッセージの曲は、このころ作曲家と分離した職業となった演奏家、つまりプロのピアニストの演奏を演奏会で聞くことにし、家庭ではノクターンを弾いて楽しむ・・19世紀の家庭という場が、大きな発展の役割を担ったのです。
「あまりはっきりしない中間的な気持ち」を表現
そして、音楽史上においても、ノクターンは重要な役割を果たしました。19世紀を代表する偉大なピアニストにして作曲家、フランツ・リストは、彼のノクターンを「軽いため息が漏れ、あたりを漂っているようだ。かすかな哀しみを感じる。やがて音が甘美な憂鬱の中へと溶けてゆく。」と評しましたが、誠に的確な論評です。
実は、ノクターンは「たゆたう、漂う音楽」で、それまでのソナタ、とか変奏曲、のように「絶対に前進する」音楽ではなかったのです。古典派の最後の巨匠といってよいベートーヴェンの交響曲などは典型的な「驀進する音楽」ですが、フィールド以降のロマン派の時代のトレンドとして、「あえて前には進まない」ためらいつつ、漂う音楽が存在感を増してきたのです。ベートーヴェンが「人類の理想」などを歌い上げたのに対し、ノクターンなどは、「個人的な気持ち、あまりはっきりしない中間的な気持ち」等をあらわすのに向いていたのです。これは、ショパンなど、この後の多くの作曲家のインスピレーションの源泉となりました。
フィールドがピアノによって作ったノクターンは、まだまだ素朴な曲でしたが、彼が生み出した「脱・古典派構造」のジャンルは、その後の大勢のフォロワーたちによって、19世紀以降の音楽世界に、大変豊かな実りをもたらしてくれるきっかけとなったのです。
本田聖嗣