「あまりはっきりしない中間的な気持ち」を表現
そして、音楽史上においても、ノクターンは重要な役割を果たしました。19世紀を代表する偉大なピアニストにして作曲家、フランツ・リストは、彼のノクターンを「軽いため息が漏れ、あたりを漂っているようだ。かすかな哀しみを感じる。やがて音が甘美な憂鬱の中へと溶けてゆく。」と評しましたが、誠に的確な論評です。
実は、ノクターンは「たゆたう、漂う音楽」で、それまでのソナタ、とか変奏曲、のように「絶対に前進する」音楽ではなかったのです。古典派の最後の巨匠といってよいベートーヴェンの交響曲などは典型的な「驀進する音楽」ですが、フィールド以降のロマン派の時代のトレンドとして、「あえて前には進まない」ためらいつつ、漂う音楽が存在感を増してきたのです。ベートーヴェンが「人類の理想」などを歌い上げたのに対し、ノクターンなどは、「個人的な気持ち、あまりはっきりしない中間的な気持ち」等をあらわすのに向いていたのです。これは、ショパンなど、この後の多くの作曲家のインスピレーションの源泉となりました。
フィールドがピアノによって作ったノクターンは、まだまだ素朴な曲でしたが、彼が生み出した「脱・古典派構造」のジャンルは、その後の大勢のフォロワーたちによって、19世紀以降の音楽世界に、大変豊かな実りをもたらしてくれるきっかけとなったのです。
本田聖嗣