「ノクターン」は何が革命的だったのか 発明者フィールドの生涯と時代

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18曲ほどのノクターンを残したフィールド

   18世紀初頭に発明されたピアノ・・このころの楽器は現代のものとは違い、現在では古楽器扱いの「フォルテピアノ」と呼ばれています・・・ですが、19世紀の初めから金属加工技術の発展に伴い、急速に改良が進み、現代の「ピアノ」に近づいていました。

   改良の一つとして、現代では単に「ペダル」と呼ばれる、ダンパーを上げて音を響かすことのできる「レガートペダル」などが装備されたことに伴い、音を滑らかにつなげることが容易になったピアノを用いて、フィールドは、一つの和音を、オクターブの範囲を超えて分散して弾く「アルペジオ」という技法を左手部分に取り入れて、「ノクターン」の伴奏型とします。それに、たゆたうような右手の旋律を載せて、まさに、「夜に想う」というネーミングにピッタリな、どこか夢見心地の「ノクターン」という音楽を作り出したのです。まさに19世紀以降のピアノのために書かれたような音楽でした。

   全部で、18曲ほど(中には当初ノクターンとされなかった曲もあるので、諸説あります)のノクターンを残したフィールドは、ショパンなどの偉大なフォロワーを呼び、ピアノ曲のジャンルとして、「ノクターン」は定着してゆくのです。

   まだオーディオ装置のなかった時代、ファミリーの音楽は、伴奏とメロディーを容易に同時に弾ける「ピアノ」という楽器が中心でした。ピアノを習った人間がやさしく弾ける音楽としても、「ノクターン」は人気となりました。難しいパッセージの曲は、このころ作曲家と分離した職業となった演奏家、つまりプロのピアニストの演奏を演奏会で聞くことにし、家庭ではノクターンを弾いて楽しむ・・19世紀の家庭という場が、大きな発展の役割を担ったのです。

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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