今日は、この連載でも取り上げたオペラ「カルメン」の作曲者、フランスのジョルジュ・ビゼーのもう一つの代表作、管弦楽のための「アルルの女組曲」を取り上げましょう。学校の教科書にも載ることの多い曲ですので、組曲に含まれる「ファランドール」、「メヌエット」などを1度は聴いたことがある、という方も多いかと思います。
天才少年がそのまま天才作曲家に
ビゼーは、1838年10月25日パリに生まれました。父は声楽教師、母親はピアニスト、そして、母方の叔父は有名なオペラ歌手にして声楽教師という環境だったため、彼の将来の目標に音楽家が入ってくるのは自然なことでした。
母からピアノの手ほどきを受け、わずか9歳で私の母校でもあるパリ国立高等音楽院に入学した彼は、ピアノやオルガンで優秀な成績を収め、そのあと作曲科にも入学し、弱冠17歳にして交響曲第1番を作曲、19歳でオペレッタ「ドクター・ミラクル」を作曲してオッフェンバックの主催したオペレッタ・コンクールで優勝すると同時に、フランスの若手作曲家のための最高の賞にして、登竜門といわれる「ローマ大賞」の試験に挑戦します。
彼は試験のためにカンタータ「クロヴィスとクロチルド」を作曲して、見事一等賞を受賞します。天才少年必ずしも大成せず・・などと俗に言われますが、ビゼーの場合は、全く当てはまらず、天才少年がそのまま天才作曲家になったのです。彼の才能は周囲の誰もが認めることとなり、そういった周囲の人たちの引き立てもあって、彼のキャリアは順調に積み重ねられてゆきます。
ローマ大賞の受賞特典としてローマのフランス学士院での1年間の留学生活を終えた後、フランスに帰国した彼は、作曲家・教育者として活動をはじめ、25歳の時にはオペラ「真珠とり」を世に送り出し、その後も「美しきパースの娘」などを書いてオペラ作曲家としての地位を確立し、同時に交響曲や他の器楽曲も次々に発表してゆくことになります。