(前週から続く:家10件売っても買えないなんて... ヴァイオリンはなぜこんなに高いのか)16世紀の中頃、突如として「ヴァイオリン」が誕生したのは、北イタリアミラノの南東約80キロメートルのところにある小さな町、クレモナでのことです。
アラブ圏から地中海を経てヨーロッパに伝わった弦楽器は、ヴィオールやヴァイオリンの祖先となる擦弦楽器だけでなく、指で弦をはじく・・つまり現代のギターの祖先でもある、ウードなどと呼ばれていた楽器もあり、それがヨーロッパで「リュート」と呼ばれる楽器に変化したため、弦楽器制作者は、イタリア語で「リュータイオ」、フランス語で「リューティエ」と呼ばれます。
ポー川流域の中ほどにあって、水上交通による交易で栄えた小さな町クレモナに、突如として、歴史に名を遺すリュータイオたちが現れ、活躍したのです。
メディチ家がなかったら音楽の歴史は変わっていた?
もともと、木材の取引が盛んで、手工業が発達していたと思われるクレモナは、16世紀初めまではヴェネツィアの支配下にありましたが、その後、イタリア特有の小国の領土の他国による奪い合いが一時期あった後、この時期にはスペインの支配下で比較的安定した時期にありました。
そして、先週も書きましたが、そのクレモナの町のリュータイオに、フランス王シャルル9世からの宮廷楽団用楽器制作の注文が届きます。彼の母親は、フランス語で、カトリーヌ・ド・メディシスと呼ばれた母后、イタリア語では、カテリーナ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチと呼ばれ、フィレンツェの名高きメディチ家の出身でした。1世紀ほど後になりますが、チェンバロやクラヴィコードといった鍵盤楽器をルーツに「ピアノフォルテ」と呼ばれるピアノの原型が作られるのも、メディチ家庇護下のフィレンツェですので、この名高き一族が存在しなかったら、クラシック、いや、音楽の歴史は変わったものになっていたかもしれません。
ともあれ、シャルルのフランス宮廷で実権を握っていたカトリーヌは、宮廷で使われていたヴィオール族の、たおやかな音を出すおとなしい楽器ではなく、町の庶民たちの酒場などでこっそりと流行していた、もっと大きな音を出すエネルギッシュな楽器を所望していたようなのです。楽団もイタリアから呼び寄せましたが、彼らに持たせる楽器に、今までと違った工夫を加えるように、という指示があったかどうか・・それとも楽器製作者の「忖度」があったのかわかりませんが、町の流行楽器の特徴を新型弦楽器に取り入れたのは、間違いないようです。
結果的に、クレモナの手工業者たちは、見事にフランス王家の期待に応えたのです。
ヴァイオリン、(イタリア語ではヴィオリーノ)と呼ばれる楽器の誕生です。