亡き父や母に伝えたいこと
一青窈は、父親が台湾、母親が日本という血筋。幼少の頃は台湾で暮らし、小学校に入ってから日本に移ってきた。つまり、日本と中国、二つの文化をルーツに持っていることになる。初のオールタイムベスト「歌祭文」が改めて気づかせてくれたのは、彼女のそういうユニークさだった。
例えば、言葉である。
同じ日本語でも祇園用語のような日常生活の中では使われないような大時代的な言い回しや漢字まじりの言葉。それは、中国から発生した漢字に対しての感覚だったりするのかもしれないと思った。歌いまわしにしてもそうだ。慶大時代にジャズ研究会やアカペラサークルに所属していたというものの洋楽のコピーという印象が薄い。むしろ昭和歌謡風な小節に近かったりする。端唄や小唄などを学んでいるという歌の小節も、多くのJ-POPシンガーにはない無国籍的味わいに繋がって行く。
「普段、口語では使わないようなものを選ぶようにはしてますね。中国語でもそう言われます。本当の中国人は、こういう言い方はしないって。両方を外人目線で見てるのかもしれませんね。その時の気分でどっちにも自由に遊べる。ノマド(遊牧民)みたいなものでしょうか」
アルバムを通して聴いていて、改めて思ったことがもう一つあった。それは、DISC1の「一青歌祭文」の中の初期の曲と、DISC2の「新盤歌祭文」の後半の曲の共通性だった。彼女は、新録音の曲を「今しか書けない心境」と言った。
「いつも、ある特定の人に伝えたいという衝動があって歌になるんですね。どうしても伝えたい誰かがいるんです」
彼女は、父親を小学生の時、母親を高校生の時になくしている。デビュー前に「ノートに一日十頁も二十頁も手紙のように書いていた詩」の多くが「なき父や母に伝えたいこと」だった、と言った。新録音の6曲の中のひとつ、BEGINが曲を書いた「会いたかったのは僕のほう」は彼らが「こんにちは赤ちゃんを作りたい」と言ってくれたところから始まったそうだ。「新盤歌祭文」の12曲目には「パパママ」という曲がある。台湾でも両親のことをそう呼ぶのだという。彼女は、2015年に母親になった。
アルバム最後の曲「闇の目」は、子供に向けて書かれているように聞こえた。
「子供に伝えたい。同じようにこの愛しい気持ちを感じていて、それを伝えたいと思っている人に聞いて欲しいです」
ベストアルバムの中にはヒット曲や代表曲を並べただけというものも少なくない。「歌祭文」は、そういうアルバムではない。伝えたい人、伝えたいこと。15年で彼女自身がどう変わったかの記録のようなアルバムだと思った。
(タケ)