松本隆の詞を愛唱し歌い継ぐ
恵比寿ガーデンホールで行われた「風街であひませう」は、彼が書いたそうした一連のヒット曲が、どんな風に受け止められているかを見せてくれたコンサートでもあった。
出演したのは、手嶌葵、富田ラボ、ハナレグミ、畠山美由紀、藤井隆、堀込泰行、斉藤由貴、クミコ。80年代当時のオリジナルを歌うのは「LEGEND」として登場した斉藤由貴。9月末に発売になったクミコの新作アルバム「デラシネ」は松本隆が書き下ろしている。他のシンガーが歌った多くの曲も2000年代入ってからの松本隆作詞曲。自分のオリジナルもあれば80年代のヒット曲のカバーもある。彼らに共通しているのが松本隆の書いた詞が愛唱曲だったということとそれらを「歌い継ぐ」という姿勢だった。
松本隆がドラマー兼作詞家だったはっぴいえんどは、細野晴臣(B・V)、大瀧詠一(G・V)、鈴木茂(G・V)、松本隆(D)の四人組。70年のデビューアルバム「はっぴいえんど」と71年の「風街ろまん」がURCレーベルから発売になったことは以前、この欄で触れた。最後のオリジナルアルバムになった72年の「HAPPY END」はベルウッドからの発売だった。初のロサンジェルス録音などを提案したのがベルウッドレコードの主宰プロデューサー、三浦光紀である。10月8日に新宿文化センターで行われた「ベルウッド45周年記念コンサート」も彼が中心だった。はっぴいえんどの細野晴臣と鈴木茂は、そちらの方に参加。筆者が担当しているTOKYO FMの番組「Kei's Bar」の中で三浦光紀は「松本君にも声をかけたんだけど、彼の方のイベントと重なってしまって」と残念がっていた。
ベルウッドレコードは、72年にキングレコードの社内に生まれた独立レーベル。あがた森魚や小室等、彼のグループ、六文銭、高田渡、はっぴいえんど、大瀧詠一のソロ、加川良、友部正人らフォークロック系の新しい才能が多数羽ばたいていったレーベルである。69年に大阪で発足した自主制作レーベル、URCの東京の受け皿と言ってもいいかもしれない。名前の挙がったアーティストの多くがURCから移ってきていた。
ベルウッドが制作していたアルバムに今も輝きを失わない名盤が多いのは理由がある。三浦光紀は、「何よりも洋楽に匹敵する音楽の質にこだわった」という話をしている。はっぴいえんど解散後、それぞれソロになった細野晴臣や鈴木茂らがバックを務めるアルバムが多かったことも大きかった。
「ベルウッド45周年記念コンサート」は、はちみつぱいやあがた森魚、細野晴臣、鈴木茂ら「LEGEND」も登場したものの、全体を仕切っていたバンドのリーダーでありコンサートのホスト的存在が高田渡の息子、高田漣だった。アコースティックギター、エレキギター、バンジョー、マンドリン、ピアノ、スチールギターと様々な楽器を持ち換えて演奏。父、高田渡の作品も含め、オリジナルに新しい息吹を与えていた。彼のバンドと演奏した出演者の最年少は90年代生まれのロックバンド、GLIM SPANKY。ヴォーカルの松尾レミは「親が好きでベルウッドの音楽がいつも流れていた」と言った。
ベルウッドの三浦光紀は、アナログ盤の復刻にも力を入れている。ドーナッツ盤と言われる7インチのシングル盤も12タイトルになった。はっぴいえんどや細野晴臣、大瀧詠一のソロ、高田渡や遠藤賢司。アルバムよりも貴重なアイテムとしてどれも中古盤屋で高価な値段がついているものばかり。「45周年コンサート」でも、それらの歌がカバーされていた。
「風街」と「ベルウッド」――。
それは「伝説」ではない。
今も受け継がれてゆく、音楽的良心なのだと思う。
(タケ)