■『エネルギー産業の2050年 Utility3.0へのゲームチェンジ』(竹内純子編著、伊藤剛・岡本浩・戸田直樹著 日本経済新聞出版社)
世界的に高水準にある我が国の電気料金は、今後どうなっていくか。
国民生活の未来は、エネルギー政策の選択次第で大きく変わりうることを示す本書は、電力供給のテクニカルな議論と、IT技術の進展や少子高齢化といったマクロ的な議論を丁寧に織り合わせる。技術の進展を予測することは難しいため、仮定しつつの議論にならざるを得ないが、そうした多くの変数を冷静に比較衡量しつつ論を進める筆致は、十分な説得力を有する。
原発ゼロを政策として主張する方々にも、是非一読をお勧めしたい。
日本の将来を左右するエネルギー政策
本書は、まず第一章で、明暗二通りの未来予想図をプロローグとした上で、エネルギーをめぐって不可避的に生じる5つの変革を掲げる。すなわち、Depopulation(人口減少)、Decarbonization(脱炭素化)、Decentralization(分散化)、Deregulation(自由化)、Digitalization(デジタル化)の「5つのD」である。
第二章は、それぞれの変革が電気の小売りや発送電の事業に及ぼす影響を論じる。なるほど大きな変化が生じつつあり、政策の選択の仕方一つが将来の社会を規定することが理解できる。
そしていよいよ第三章、そのタイトルを「ゲームチェンジ」とする編著者の意気込みを感じつつ、そこに展開される「Utility3.0」の世界を味わうことになる。
Utility1.0が「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門翁に象徴される地域独占体制とすれば、Utility2.0は発送電分離等の自由化後の世界と規定される。
対してUtility3.0は、IoTの深化により、消費者は電力を購入するのではなく、それによって稼働する家電製品から得られる効用そのものを購入する世界である。
プロローグで示された明るい未来像が具現化するのではないかという期待感と、そこに向けてエネルギー政策を自らの選択として考える重要性を気づかせてくれるのがこの章だ。
なお、第三章の後段、原子力行政のあり方を語り、あるいは過疎地の問題を取り上げる部分は、Utility3.0が提示する未来像と懸隔がある。但し、これら課題の解決なくして安価で安定的な電力供給は困難だ。その意味で、これらの解決は、Utility3.0を実現させる前提条件と言えるのだろう。
健全なる言論市場の意義
本書は、東京電力ホールディングスの経営技術戦略研究所の研究成果をベースにしたものという。反射的に「東電の我田引水か」と疑う人もあろうが、どうだろうか。
出自だけを見て利害関係を理由に言論を軽んじる者は、その言論の内容を自らの頭で思考し評価することを放棄している。これは、言論市場によって確からしい結論が多数を占めていくべき民主的社会においては、厳に慎むべき態度ではなかろうか。
実際に読み通してみれば、科学的知見に裏打ちされた、経済合理性のある議論が冷静に展開されていることに気付くはずだ。陰謀論や政治的思惑によって、こうした議論を歪めてはならない。
原発事故以来のバッシングは沈静化したものの、東京電力への視線はなお厳しい。そうした中、東京電力の方々や有識者が、本書によってあるべき議論を展開したことに、評者はある種の侠気を見る。それは安定的な電力供給を愚直に行ってきた、世界的にも卓越した技術と使命感を持った集団の危機感の表明であり、日本社会への警鐘である。
デマや空想を騒ぎ立てる人々が多数居る中で、これに事実と論理で立ち向かう、本書の執筆陣のような人々こそが、勇気ある真の言論人ではないだろうか。
原発事故と放射線リスクを冷静に論じた中西準子教授、子宮頸がんワクチンの安全性を説明する村中璃子医師や、食品安全に関する悪質なデマと闘うFOOCOM.NETの松永和紀氏もこうした勇気の持ち主として思い浮かぶ。
そう考えてみて、はたと気づく。先に侠気と指摘したものの、中西教授、村中医師、松永氏そして本書の編著者・竹内氏、いずれも女性なのである。これはただの偶然だろうか。
門外漢のコメンテータが無責任な発言で世論に影響を及ぼすのを放置し、真の専門家が口をつぐめば、民主政治が衆愚政治に堕するは必定。勇気ある女性たちが心ない中傷を恐れず日本の未来を担う先導役を買って出ている以上、我々男どもも自らの持ち場で、彼女らに恥ずかしくない仕事をせねば面目が立たぬ。
これら女性リーダーの方々に敬意を払いつつ、認識を新たにした次第である。
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)