タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
安室奈美恵の突然の引退を聞いて、二人のアーティストを思い出した。
一人は言うまでもなく山口百恵である。
1970年代半ばから一世を風靡し、80年10月5日の武道館でマイクを置いたまま姿を消してしまった伝説の歌姫。もう一人は、去年の4月から5月にかけてのドームツアー「LAST GIGS」を最後にライブ活動から身を退いた氷室京介である。「思うようなパフォーマンスが出来なくなったら引退する」というのは、彼が以前から口にしていた言葉だった。
前者は結婚という一身上の理由であり後者は耳の不調という身体的な問題とそれぞれ事情は違っていた。でも、突然の発表とその引き際の潔さという点で共通するものがあるように思えたのだ。
日本の歴代アイドルとして異例な3つの理由
安室奈美恵は、日本の歴代のアイドルの中では異例とも言うべき点がいくつもある。
例えば、彼女の成り立ちがダンスだったことだ。
数多くのアイドル神話の多くが、そのサクセスストーリーにあると言って良いのだと思う。
どこにでもいる普通の女の子がオーディションやスカウトによって見出され、ある日テレビの画面の中で輝くような笑顔を浮かべているというシンデレラ物語。その主人公に要求されたのは必ずしも「歌唱力」などの音楽的実力ではない。むしろ、それらは邪魔になったりするのがアイドル業界の方程式だったりすることもある。
彼女はそうではなかった。
他の人よりも魅力的に踊らないといけない。
それが誰であれ、少なくともダンスの世界は実力でしか評価されない。最初からプロフェッショナルであることを求められてきたという意味でも異例だろう。
二つ目は、彼女の人気が「茶の間」を経由していなかったことがある。必要としていなかった、と言っても良い。
彼女が社会現象になった理由が「アムラー」と呼ばれるフォロワーにあることは説明不要だろう。厚底ブーツと台形ミニスカートに茶髪。決してお茶の間でテレビを見ている女子高生のスタイルとは言えない。むしろ、教育委員会的な人達の眉をひそめさせるようなスタイルはアウトロー的と言えるだろう。彼女たちが闊歩していた舞台は渋谷センター街。茶の間よりもストリートと直結していたアイドルは彼女くらいではないだろうか。
三つ目は、彼女がやってきた音楽にある。
90年代後半のJ-POPの新しい流れが「R&B」だった。アメリカのブラックミュージックの大きな柱となっているリズム&ブルース。独特の揺れるリズム感が日本人には難しいと言われていた音楽が、日本で「R&B」としてブームとなった。
その要因となったのがコンピューターである。
ミュージシャンの生演奏に頼らないデジタルなサウンドは「ニューR&B」と言われるようになった。その最大の牽引者がプロデューサーで作詞作曲も手がけた小室哲哉だったことは言うまでもない。カラオケでも歌いたくなるだけでなく歌って踊れる音楽。安室奈美恵は、そのヒロインとなった。
小室哲哉と離れてから際立つ軌跡
ただ、彼女の軌跡が際立っているのは、90年代の終わりにヒット曲を連発した、それ以降だ。
2001年から小室哲哉を離れて、ヒップホップシーンに急速に接近して行く。ラッパーや海外のトラックメーカーとのコラボレーションを重ね、より先鋭さを加え、シングルマザーとして音楽活動に特化するようになっていく。 洋楽のダンスミュージックとJ-POPの融合という意味で、彼女の存在は大きかったように思う。2005年のアルバムタイトルは「Queen of Hip Pop」。2006年のアルバム「Play」は、彼女のセルフプロデュースだった。
アイドルからアーティストへーー。
2000年代後半以降の活躍は日本を代表する女性アーティストの名にふさわしい。アジア各国でのツアーは恒例化し、2012年のアルバム[Uncontrolled]には、内外の7名のプロデューサーが参加、世界5カ国で一位を獲得している。それでいて女性ファッション誌の表紙を飾り、同世代はもとより若い女性の憧れの存在であり続ける。その有り様は、アイドル、アーティストという枠を超えていた。山口百恵や松田聖子ら、歴代の女性アイドルが誰一人として到達出来なかった地点に彼女はいた。
史上最年少スタジアム公演、史上最年少レコード大賞受賞、1000万枚突破、唯一の10代・20代・30代でのシングルとアルバムでのミリオン記録、シングル連続トップ10入り年数――。
数々の記録の中でも特筆しなければいけないのが、女性ソロアーティスト最大動員数を記録しているツアーだと思う。2008年から09年にかけてのツアーは65公演、約50万人動員。2012年には五大ドームツアー、去年から今年にかけては、何と33会場100公演のホールツアーも行っている。
これをいつまでやれるのだろうーー。
彼女のライブを見た時にそう思ったのは、もう何年か前だ。一言も話さずにダンスと歌に集中していく。周りを囲むダンサーたちに一歩もひけを取らないばかりか、誰よりも輝きを発している。一気に走り抜けるような気迫に満ちたステージは、延命を拒否するかのような覚悟に満ちていたのだ。引退を聞いた時に、晴天の霹靂という感じがしなかったのは、そういう日が来ることを予想していたと言って良いのかもしれない。
残り一年、今からどんな時間になっていくのだろう。
彼女は、どんな姿を残して行くのだろう。
そして、人々の記憶には、何が刻まれていくのだろう。
史上最大の引退劇が始まろうとしている。
(タケ)