小室哲哉と離れてから際立つ軌跡
ただ、彼女の軌跡が際立っているのは、90年代の終わりにヒット曲を連発した、それ以降だ。
2001年から小室哲哉を離れて、ヒップホップシーンに急速に接近して行く。ラッパーや海外のトラックメーカーとのコラボレーションを重ね、より先鋭さを加え、シングルマザーとして音楽活動に特化するようになっていく。 洋楽のダンスミュージックとJ-POPの融合という意味で、彼女の存在は大きかったように思う。2005年のアルバムタイトルは「Queen of Hip Pop」。2006年のアルバム「Play」は、彼女のセルフプロデュースだった。
アイドルからアーティストへーー。
2000年代後半以降の活躍は日本を代表する女性アーティストの名にふさわしい。アジア各国でのツアーは恒例化し、2012年のアルバム[Uncontrolled]には、内外の7名のプロデューサーが参加、世界5カ国で一位を獲得している。それでいて女性ファッション誌の表紙を飾り、同世代はもとより若い女性の憧れの存在であり続ける。その有り様は、アイドル、アーティストという枠を超えていた。山口百恵や松田聖子ら、歴代の女性アイドルが誰一人として到達出来なかった地点に彼女はいた。
史上最年少スタジアム公演、史上最年少レコード大賞受賞、1000万枚突破、唯一の10代・20代・30代でのシングルとアルバムでのミリオン記録、シングル連続トップ10入り年数――。
数々の記録の中でも特筆しなければいけないのが、女性ソロアーティスト最大動員数を記録しているツアーだと思う。2008年から09年にかけてのツアーは65公演、約50万人動員。2012年には五大ドームツアー、去年から今年にかけては、何と33会場100公演のホールツアーも行っている。
これをいつまでやれるのだろうーー。
彼女のライブを見た時にそう思ったのは、もう何年か前だ。一言も話さずにダンスと歌に集中していく。周りを囲むダンサーたちに一歩もひけを取らないばかりか、誰よりも輝きを発している。一気に走り抜けるような気迫に満ちたステージは、延命を拒否するかのような覚悟に満ちていたのだ。引退を聞いた時に、晴天の霹靂という感じがしなかったのは、そういう日が来ることを予想していたと言って良いのかもしれない。
残り一年、今からどんな時間になっていくのだろう。
彼女は、どんな姿を残して行くのだろう。
そして、人々の記憶には、何が刻まれていくのだろう。
史上最大の引退劇が始まろうとしている。
(タケ)