19歳以前の作品は1つも残っていない
1891年というと、ブラームスはもう58歳、円熟期・・というより「初老」に差し掛かったところです。この少し前、ブラームスは、初めて老いを感じて、創作意欲も徐々に減退していました。しかしこの時期から、クラリネット奏者ミュールフェルトの演奏に接するなどして創作意欲を取り戻し、クラリネットが活躍する室内楽作品をまたいくつか生み出しているときでした。ピアノ三重奏曲はすでに第3番まで完成していましたが、彼は、若き頃の作品である、第1番に「大幅に」手を入れることにしたのです。
全4楽章のうち、第2楽章は原型をとどめているものの、他の楽章は、最初こそモチーフを活かしていますが、そのあとは実質別の曲、というぐらい書き改められています。もちろん「若書き」の1854年版に対し、1891年版は、すでにほとんどの分野で傑作を世に送り出していた大作曲家の手になる「改作」ですから、こちらのほうが、どう見ても比較にならないぐらい良い曲で、したがって、今日の演奏家も、ほぼ100%、1891年版を「第1番」として演奏します。
ブラームスは自己批判の強い人間で、たびたび自分の過去作品に改作の手を入れ、また、旧作となった作品は、潔く廃棄しました。そのため、彼の19歳以前の作品は1つも残っていません。
そうやって、常に「今のベスト」を作品として残す姿勢のブラームスでしたが、なぜかこの「ピアノ三重奏曲 第1番」だけは、旧ヴァージョンも残されたのです。ほとんど別の曲といってよい、2つの「同一の題名を持つ作品」が残った、稀有な例です。
交響曲 第1番に関しても、20年近く構想を練った・・といわれるブラームスのことですから、自分の作品については、いつも大変長いスパンで考えていたのかもしれません。