答えが見えない状況に臨んで、持ちこたえていくための「負の力」

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170年後に、精神科医ビオンが再発見し、脚光を浴びる

   このネガティブ・ケイパビリティの考え方が広まったのは、キーツの死後170年経って、イギリスの精神科医ビオンが、精神科医も、患者との間で起こる現象、言葉に対して、同様の能力が求められると主張したことによる。

   つまり、目の前の患者と接する際に、精神分析学の知識で患者を診たり、その理論をあてはめたりして患者を理解しようとするのではなく、不可思議さ、疑念を持ち続け、性急に答えを出さない態度が大切だと指摘したのだ。

   学問は、通常、「記憶」と「理解」が基本をなし、こうしたいという「欲望」がその中に詰まっているが、これらを捨ててこそ、初めて辿り着ける、見えてくるという考えだ。

   こうしたアプローチが求められるのが、死にゆく終末期の患者を前にしたときの対応だという。

   一般に、精神科医は、人混みでのパニック発作など、死にゆく不安以外の不安には慣れている。しかし、死にゆく不安は、深刻ではあるが、ある意味で正常な不安であって、その対処については、教科書にも書かれていない。

   したがって、こうした場面で、精神科医は、目の前の患者に対し、拙速に帳尻を合わせることなく、宙ぶらりんの解決できない状況を持ちこたえていく力が求められる。著者の言葉を借りれば、「生まれたばかりの手つかずの心、赤子の心で、死にゆく患者と対峙する」のである。そうすれば、「主治医と患者の間で交わされる言葉の一言片句が千鈞の重みを持ってくる」という。

   著者によれば、誰でもひとりで苦しむのは耐えられないものであり、誰かその苦しみを分かってくれる、見てくれている人がいると、案外耐えられるという。

「あなたの苦しい姿は、主治医であるこの私がこの目でしかと見ています」
「あなたの人生は必ずや遺されます、少なくとも主治医である私の胸には、私が死ぬまでしまっておきます」

   といった医師の言葉は、死にゆく患者に対して処方できる最大の薬(著者の言葉を借りれば、医師が見ているという「目薬」)だという指摘はとても印象的だ。

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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