謎多きベートーヴェンの「月光ソナタ」 楽譜に残された印がミステリーに拍車をかける

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   中秋の名月、というと、旧暦の8月15日の夜の月のことで、現代の太陽暦に直すと2017年は10月4日ですが、満月ではありません。満月は10月6日です。これは、月が地球を回る公転軌道が完全な円ではなく、少し楕円であるからで、新月を月始めとする旧暦で数えた14日目の満月と、新月から満月になるには13.9日から15.6日まで幅がある実際の天文学的数字のずれが起こるからです。

   ・・ややこしい話はさておき、秋になると、太陽の存在感が薄くなり、反対に月を愛でようとした先人たちの知恵に思いをはせつつ、今日は月が絡む名曲、ベートーヴェンの「ピアノソナタ第14番 作品27-2」を取り上げましょう。

  • ソナタ風幻想曲、というサブタイトルが見える通称『月光ソナタ』の楽譜冒頭
    ソナタ風幻想曲、というサブタイトルが見える通称『月光ソナタ』の楽譜冒頭
  • アダージオ・ソステヌート(ゆっくりとしっかりした音で)の下に見える「すべてをとてもデリケートにそして、senza sordinoで演奏するように」と書いてある
    アダージオ・ソステヌート(ゆっくりとしっかりした音で)の下に見える「すべてをとてもデリケートにそして、senza sordinoで演奏するように」と書いてある
  • ソナタ風幻想曲、というサブタイトルが見える通称『月光ソナタ』の楽譜冒頭
  • アダージオ・ソステヌート(ゆっくりとしっかりした音で)の下に見える「すべてをとてもデリケートにそして、senza sordinoで演奏するように」と書いてある

なぜ単調な動きだけで書いたのか

   表題をつけることを好まなかったベートーヴェン、音楽は音に語らせるべきで、言葉での先入観をなるべく持ってもらいたくない、と彼は考えていたので、「月光ソナタ」という通称は、彼の死後、詩人がこのソナタの第1楽章を評したコメントから、誰ともなくつけられてしまった名前で、本人は苦々しく思っているかもしれません。

   しかし、それまでの古典的な鍵盤楽器のためのソナタとは、がらりと構成が変わり、「幻想曲風ソナタ」・・・幻想曲とは、ソナタとか、ロンド、とか形式に縛られない自由な曲を表すときに作曲家が書くタイトルです・・・・と自らも記しているこの個性的な曲は、一度聴いたら忘れられない強烈な印象を残します。

   そもそも、「ソナタ形式」というもので書かれる器楽ソナタの第1楽章は、穏やかなテンポのイントロを持ったとしても、主部は快活なアレグロなどの速いテンポで書かれることが多く、反対に第2楽章はゆっくりしたテンポの緩徐楽章となるのが、「古典派」時代の常識でした。このピアノソナタは、驚くほどゆっくりした1楽章を持ち、それより速くて短い第2楽章が続き、最後の第3楽章は怒涛のテンポで最後まで突き進んで激しく終わる、というとても変わった「速度の構成」で作られています。

   古典派時代の「大いなる改革派」であったベートーヴェンは、様々な曲で、様々な試みをしていますが、この通称「月光ソナタ」の、第1楽章は、なぜこのようなゆっくりした、動きの少ない・・もっとあけすけに言えば単調な動きだけで、書こうとしたのか、それを突き詰めてゆくと、かなり深い謎にはまります。

謎の原因は「恋心」!?

   この曲を献呈された、ベートーヴェンの一時弟子であったジュリエッタ・グッチャルディ嬢に、ベートーヴェンは好意を抱いていたのは間違いがなく、かといって、身分違いのため結婚は望むべくもありませんでした。

   惚れっぽい体質のベートーヴェンは、第1楽章を、あまりピアノの腕前が良くない彼女でも弾けるように書いた、とも、抑圧された恋心を人知れず抱える気持ちの第1楽章、想像して楽しむ第2楽章、現実にさいなまれる葛藤の第3楽章、という風につづっていたのだ・・・とも想像できます。

   事実、彼の死後、遺品の中から「不滅の恋人へ」という、宛先不明のラブレターが見つかっており、現代にいたるまでも、その相手が、誰なのか、判明していません。一説には「エリーゼのために」を各動機となった「テレーゼ嬢」だともいわれますし、このグッチャルディ嬢も候補の一人なのです。

   ともあれ、30歳の、即興ピアニストからいよいよ転身して作曲家としてデビューし、野心と、もしかしたら燃える恋心を持ったベートーヴェンは、この謎多き斬新な「幻想曲風ソナタ」を残したのです。

なぜ「ソルディーノ無しに」と指示したのか?

   ところで、第1楽章冒頭に「senza sordino センツァ・ソルディーノ」という指示が楽語であるイタリア語で書かれています。これをそのまま訳すと、「弱音器をつけないで」ということになり、現代では、ピアノの「音を小さくする左ペダルを踏まないで」ということになります。しかし、これはありえない解釈で、冒頭からゆっくりと、静かに、それこそ、後世の人間が「月光のように」感じたフレーズがずっと続くわけですから、むしろ弱音器が欲しいわけです。なぜ、「ソルディーノ無しに」と指示をしたのか?

   ・・・正解は当時のピアノにありました。ピアノは、ハンマーで金属製の弦をたたいて音を出す楽器ですが、そのままだと音がずっと鳴り続けてしまうので、鍵盤を上げれば、鍵盤を下げて音を出したときに連動して弦から離れて上昇していたダンパーという機構が上から降りてきます。そして、弦の振動を止めるのです。現代のピアノは、頑丈な鋼鉄の弦を鋳鉄のこれまた頑丈なフレームに張っていますから、ダンパーがなければ、ハンマーでたたかれた弦は、2~30秒はずっと鳴り続けます。ところが、ベートーヴェンのこの時代のピアノは、まだ金属製のフレームがなく、弦も細かったので、ハンマーでたたいても大して音が保持できなかったのです。

   第1楽章をなるべく、静かに、音が交じり合って響きあってきわめて幻想的に聴こえてほしいと思ったベートーヴェンは、「ダンパーを上げて」という指示で、「senza sordino」と書いたのです。これは、現代のピアノに直せば、「ダンパーを上げる機構である右のペダルを踏みっぱなしにして」と解釈できます。

   残念ながら、現代のピアノは、ベートーヴェン時代からかなり改良されていますので、右のペダルを踏みっぱなしだと、音が残りすぎて、大きくなってしまったり、濁りすぎて聴くに堪えない音楽になってしまいます。そのため、現代のピアニストは、現代ではsordinoと呼ばれている左の弱音ペダルを踏みながら、現代ではダンパーペダル又はレガートペダルと呼ばれている右のペダルをなるべく多く踏むが、音が濁ってきたら適宜踏みかえて、演奏することがほとんどになっています。

   同じピアノといっても、18世紀後半から19世紀初頭のものと、現代ではまったく別種の楽器といってもよい、常に技術革新とともに歩んできたピアノならではの「時代によっての解釈の違い」が、この曲にはあるのです。

   ということで、謎多き冒頭の「センツァ・ソルディーノ」の指示の問題は、解決しているのですが、作曲の動機や、彼のこの曲に込めた思い・・は、いまだに謎の部分も多いのです。楽譜に記された音だけが手がかりですが、その音が、かえって謎を増幅している・・・そんな雰囲気を持つミステリアスな名曲だからこそ、「月光」のタイトルが似合ってしまうのかもしれません。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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