「内面の葛藤」に時代が共感か
URCには伏線があった。メジャーから出そうとした岡林信康の「くそくらえ節」が発売できなくなり、ザ・フォーククルセダーズの「帰って来たヨッパライ」に続く二枚目のシングル「イムジン河」が発売中止になった。自分たちが歌いたいものが出せない。歌いたいことが歌えない。商業ベースで拒否されるなら、自分たちで出そう。シングルの第一作「イムジン河」を歌ったのは、アマチャア時代のザ・フォーククルセダーズの北山修と加藤和彦以外のメンバーに、「帰ってきたヨッパライ」の作詞者のひとり、松山猛が加わったグループだった。彼は、「イムジン河」を加藤和彦に教えた「生みの親」でもある。つまり、「イムジン河」の復活戦シングルでもあった。
はっぴいえんどをはじめ、岡林信康、高田渡、中川五郎、遠藤賢司、友部正人、斉藤哲夫、加川良、三上寛、ザ・ディランII、なぎらけんいちらURCから巣立っていったアーティストは多い。その多くが10代の終わりから20代の初めという年代だった。
戦後数年たって誕生した世代の若者たち。中川五郎や五つの赤い風船には、泥沼化するベトナム戦争を題材にした「反戦歌」も少なくない。あるいは、放浪や家出、親子の葛藤。どれも商業ベースで流れてくる音楽とは違うものばかりだった。やはり19歳だった斉藤哲夫のデビュー曲「悩み多き者よ」のタイトルのように、それまでの戦争経験世代に迎合しない価値観の模索がそのまま歌になっているものも多かった。第一回発売のもう一枚のシングル「坊や大きくならないで」は、戦火のベトナムで歌われていた曲のベトナム原盤だった。
URCがシーンに浮上するのは今回が初めてではない。2011年の東日本大震災の後にも若者たちのある種の指針として聞かれている時期があった。激動の時代に彼らが歌った内面の葛藤が、時を超えて共感を呼んでいる。
今回のアナログレコード・カセットでの復刻は隔月で各2作品ずつ。9月20日発売は加川良の「教訓」、西岡たかし・木田高介・斉藤哲夫の「溶け出したガラス箱」の2枚。以降、遠藤賢司、柳田ヒロ、斉藤哲夫、休みの国、高田渡、ザ・ディランII、早川義夫、三上寛と続いてゆく。
名盤と評価の高いものもあれば、入手困難になっていたレア盤もある。イギリスや日本の名エンジニアの手で新たにカッテイングし直したというアナログレコードが、今の若者たちと当時の聞き手にどんな風に受け入れられてゆくのか。これも時代の転換期ならではの試みなのだと思う。
70年代名盤再び――。
URCのアーティストの多くが、その後、東京のレコード会社、ベルウッドに移っていった。9月20日からベルウッドの再発盤シリーズもスタートする。
それについては、またの機会を待ちたいと思う。
(タケ)