クラシック音楽会の中の花形は、一方を管弦楽によるシンフォニーこと交響曲、だとすると、もう一方は、その管弦楽をバックにソリストが華麗なる技巧を披露するコンチェルトこと協奏曲でしょう。実際に現代のオーケストラの演奏会では、前半に序曲などの短い作品とゲスト・ソリストを迎えての協奏曲、休憩をはさんで後半が交響曲、というパターンのプログラムが多く、この2つが、大規模管弦楽の演奏会の二大人気ジャンルであることをうかがわせます。
しかし、今日は、「協奏曲」と名乗っているのに、たった一人で演奏する曲、バッハの「イタリア協奏曲」を取り上げましょう。
当時の先進国であるイタリアで誕生
そもそも「協奏曲」とはいかなるジャンルなのか?・・これは時代によって少し異なります。
古典派以降、ロマン派から近現代に至る「協奏曲」は、オーケストラをバックに独奏楽器・・・多くの場合、独奏楽器はオーケストラをバックにしても音が良く聞こえる「鋭い音の」のヴァイオリンや、「大きな音の」ピアノが使われますが、現代では、ありとあらゆる弦楽器・管楽器、果ては打楽器を独奏楽器として扱うものもあります・・・・が、メロディーを歌い上げ、時には「カデンツァ」と呼ばれる独奏楽器が単独で華麗なる技巧を披露するセクションなどを挟みながら、ソナタ形式に則って書かれる、大規模な曲です。
クラシック曲の人気投票をしても、メンデルスゾーンやブラームスやチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ショパンやチャイコフスキーやラフマニノフのピアノ協奏曲は、上位の常連です。クラシック人気の牽引役といってもよいでしょう。
しかし、話が古典派以前のバロック時代になると、少し事情が違います。独奏楽器が一人の場合と、「コンチェルト・グロッソ」と呼ばれる独奏楽器が複数の協奏曲も存在します。
また、独奏楽器・独奏楽器群が、合奏の一群(古典派以降は管弦楽となりますが、バロック時代は管楽器がまだまだ未発達のため、弦楽合奏のみ、ということが珍しくありませんでした)と時に対話し、時に対峙する、という曲の性格や、急~緩~急のテンポを持つ3楽章形式などは後世の作品と同じものの、多くは提示部・展開部・再現部といった部分を持つソナタ形式ではなく、何度も同じテーマが少しずつ形を変えて現れるリトルネロ形式、と呼ばれる形式で書かれています。つまり対話をしつつ、また元のメロディー&ハーモニーに戻ってくるという繰り返しを続けるのです。
そして、この「協奏曲様式」は、当時の先進国であるイタリアで誕生しました。ヴィヴァルディの有名な「四季」などもこのバロック時代の協奏曲の一つです。
シンプルに聞こえるが実はかなり複雑
あけすけな言い方をすれば、協奏曲形式が誕生したときには、まだまだ相当な「音楽後進国」だったドイツは・・・正確に言えばまだ当時ドイツという国は誕生していないので、ドイツと現在呼ばれる地域の音楽家は、一生懸命、イタリアに学ぼうとしました。
ドイツを音楽一流国にする立役者の一人、J.S.バッハもその一人でした。彼は、若いころ、ヴァイマール宮廷にオルガニストとして勤めていたころ、宮廷のイタリア音楽趣味に影響されてイタリアで当時盛んだった協奏曲形式の曲を研究し、それをオルガンの独奏曲に編曲したりしています。こうして、彼はイタリアには足を運んではいないものの、イタリアで流行する最先端の協奏曲形式を身に着けていったのです。
時は流れ、バッハはライプツィヒ市の音楽監督となっていた時、多忙を極めていましたが、イタリアの協奏曲形式で、チェンバロの独奏曲を書こうと思い立ちます。
オルガンと同じく、チェンバロという楽器は、現代のピアノにはない機構を持っていました。それは、2段になっているなど、複数の鍵盤を持っていることと、その鍵盤ごとに音色をあらかじめ組み込まれたシステムを操作することによって変えることができる、という仕組みです。現代のピアノの鍵盤は1段のみ、そして、部分ごとの音色を変えるのは、ピアニストの指によってのみですが、音の強弱を鍵盤の押し方で変えることがほぼ不可能なチェンバロでは、弦のはじく本数を変える機構などを組み込んで、「機械の力で音色を多彩にする」工夫がされていたのです。
そして、この「音色を変えることができる機構」を利用して、「イタリアの協奏曲形式」の中の独奏楽器と、合奏部分の対比を付け、そのすべてを一人の鍵盤楽器奏者で弾いてしまう曲を作ろう、と考えたわけです。
音楽後進国ドイツのバッハは、異国である、フランスと、イタリアに範を取った鍵盤楽器の曲集、「クラヴィーア曲集第2巻」を1735年、刊行します。その中におさめられた「イタリア趣味によるコンチェルト」こそ、現代では「イタリア協奏曲」と呼ばれている独奏曲で、現代では、ピアノで頻繁に演奏されます。
若いころ熟達したバッハの「イタリア的弦楽の協奏曲を鍵盤楽器1台で弾いてしまう」という作曲技法がいかんなく発揮されたこの曲は、その快活なキャラクター、シンプルに聞こえるのだけれども、実はかなり複雑な構造を持っていることなどから当時から評判となり、今では、日本のピアノを学ぶ小学生などにも広く弾かれる人気曲となって、世界中で愛聴されています。
本田聖嗣