シンプルに聞こえるが実はかなり複雑
あけすけな言い方をすれば、協奏曲形式が誕生したときには、まだまだ相当な「音楽後進国」だったドイツは・・・正確に言えばまだ当時ドイツという国は誕生していないので、ドイツと現在呼ばれる地域の音楽家は、一生懸命、イタリアに学ぼうとしました。
ドイツを音楽一流国にする立役者の一人、J.S.バッハもその一人でした。彼は、若いころ、ヴァイマール宮廷にオルガニストとして勤めていたころ、宮廷のイタリア音楽趣味に影響されてイタリアで当時盛んだった協奏曲形式の曲を研究し、それをオルガンの独奏曲に編曲したりしています。こうして、彼はイタリアには足を運んではいないものの、イタリアで流行する最先端の協奏曲形式を身に着けていったのです。
時は流れ、バッハはライプツィヒ市の音楽監督となっていた時、多忙を極めていましたが、イタリアの協奏曲形式で、チェンバロの独奏曲を書こうと思い立ちます。
オルガンと同じく、チェンバロという楽器は、現代のピアノにはない機構を持っていました。それは、2段になっているなど、複数の鍵盤を持っていることと、その鍵盤ごとに音色をあらかじめ組み込まれたシステムを操作することによって変えることができる、という仕組みです。現代のピアノの鍵盤は1段のみ、そして、部分ごとの音色を変えるのは、ピアニストの指によってのみですが、音の強弱を鍵盤の押し方で変えることがほぼ不可能なチェンバロでは、弦のはじく本数を変える機構などを組み込んで、「機械の力で音色を多彩にする」工夫がされていたのです。
そして、この「音色を変えることができる機構」を利用して、「イタリアの協奏曲形式」の中の独奏楽器と、合奏部分の対比を付け、そのすべてを一人の鍵盤楽器奏者で弾いてしまう曲を作ろう、と考えたわけです。
音楽後進国ドイツのバッハは、異国である、フランスと、イタリアに範を取った鍵盤楽器の曲集、「クラヴィーア曲集第2巻」を1735年、刊行します。その中におさめられた「イタリア趣味によるコンチェルト」こそ、現代では「イタリア協奏曲」と呼ばれている独奏曲で、現代では、ピアノで頻繁に演奏されます。
若いころ熟達したバッハの「イタリア的弦楽の協奏曲を鍵盤楽器1台で弾いてしまう」という作曲技法がいかんなく発揮されたこの曲は、その快活なキャラクター、シンプルに聞こえるのだけれども、実はかなり複雑な構造を持っていることなどから当時から評判となり、今では、日本のピアノを学ぶ小学生などにも広く弾かれる人気曲となって、世界中で愛聴されています。
本田聖嗣