大階段を滑り落ちていく俳優たち
昨年のフィナーレ。俳優たちがあお向けに寝転んだまま、大階段をズルズルと滑り落ちていった。身体を限界まで使わせる金氏の要求は厳しい。それだけにインパクトがあった。
観客は老若男女が揃う。たまたまそこに居合わせた博物館の入場者だ。しかも実験的な演劇を見慣れた人ばかりではない。突然始まったパフォーマンスにさぞかし驚いたことだろう。
だが戸惑いつつも、俳優たちの肉体が発する雄弁な「言葉」に魅入られていった。観客が大階段の上から紙を降らせるというパフォーマンスにも喜んで参加したという。
「一昨年は、大きなクジラの骨格標本を母クジラに見立て、ダンスのできる俳優が少女の姿をしたクジラの子どもになって母と再会するパフォーマンスを披露する場面がありました。標本が置かれた台をいっぱいに使ったので、骨格標本がゆらゆら揺れ、観客の方がドキドキしたそうです」
身体能力の高い俳優がさまざまな動きを見せたことで台がひとつのステージとなった。また、ガラスケースの中に入った頭蓋骨の木骨標本を『サロメ』に登場するヨハネの首に見立て、ガラス越しにキスする場面もあった。
「標本は大切なものですので、それがギリギリの表現でした」
何度も現場に集まって創り上げることで、このような表現も可能になったのだろう。演劇は俳優が発する気を観客が受けとめ、新しいエネルギーを乗せて交歓するものだ。事前知識のない無垢な観客のエネルギーだからこそ、さらに俳優に力を与えたのではないだろうか。