「職業人生」に読み替えてみる
本書は人間の生き方がテーマだが、その訓えを職業人としての人生に絞って当てはめて見てもまた含蓄がある。
他者のために使う時間こそが貴重である、という著者のメッセージは、会社や官公庁という組織で働く場合にも、あるいは商いをする場合にも、実は等しく当てはまると思われるからである。
ことに中央省庁の官僚は、ともすれば冷たい、機械的な人間と思われがちだ。全体の利益を図ろうとすると、一部の利益が損なわれうることも一因だろう。だがその一部の利益もまた国民の利益である。それに思いを致すことは、まさしく他者のために時間を使う、ということではないか。
評者は若い頃、同僚に「お前は結論を出すまで考えあぐねるが、物事には正解がある、正解をつかめば悩む必要はない」と諭されたことがある。当時は頭脳明晰な同僚を畏敬し己の愚鈍を恥じたが、今は違う。
大きな政策遂行には小さな犠牲も止むを得ない、と切り捨てるのではなく、その小さな犠牲をも生じさせないために何ができるか。叶わぬまでも悩み続ける。これが行政官たる者に求められる姿勢と評者は信じるに至っている。
著者が紡ぐ言葉に出てくる「人生」の語を、「職業人生」に読み換えてみよう。
「変わりばえのしない、なんでもない毎日も、職業人生の大きな宝ものです。」
「職業人生において最悪の体験だと思っていたものが、じつは、私が人の心を察することのできる職業人になるために必要なレッスンであったのだと、いまは心から感謝しています。」
以上、良書の読み替えとして陳腐だとのお叱りは甘んじて受けるが、職業人生も後半戦が佳境に入った今、仕事の姿勢を再考させて頂いた次第である。
日野原先生に感謝しつつご冥福をお祈りしたい。合掌。
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)