佐野元春、いくつになっても「BEAT CHILD」
思い出す30年前の過酷な阿蘇高原の夏

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   タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   [あの夏の日の主役たち・5 佐野元春]

   夏が終わろうとしている。

   毎年やってくる夏が残してくれる様々な記憶――。

   2017年は、雨の多かった夏、太陽が顔を出すことが少なかった夏、ということになるのかもしれない。8月に予定されていた野外イベントも雨交じりだったというところが多かったのではないだろうか。

   特に、西日本を襲った豪雨は、音楽どころではないという大きな傷跡を残していった。テレビで流れる生々しい映像に胸を痛めながら思い出していた「伝説の夏」があった。

佐野元春&THE COYOTE BAND「maniju」(Daisy Music)
佐野元春&THE COYOTE BAND「maniju」(Daisy Music)

新しい世代のロックの誕生

   1987年夏、場所は熊本県南阿蘇村。集まった観客は約7万2千人。イベントの名は「BEAT CHILD」。史上最も過酷だったオールナイト・イベントとして伝説化している。

   出演者は、THE BLUE HEARTS、UP-BEAT、RED WARRIORS、小松康伸、岡村靖幸、白井貴子、HOUND DOG、BOO/WY、THE STREET SLIDERS、尾崎豊、渡辺美里、佐野元春、という順だ。全員が80年代にデビューした人たちである。

   以前、渡辺美里の回で触れたことではあるのだが、70年代と80年代のシーンで決定的に異なるのは、マーケットの主流が10代の男女だったことだ。それも、制服を着て通学をしている普通の中高生が中心になった。70年代ロックの反体制やアングラ、というイメージは姿を消し、学校や教室が舞台になった。その先鞭をつけたのが、80年にデビューした佐野元春である。

   彼のデビューアルバムのタイトルは「BACK TO THE STREET」。1956年、東京は神田の生まれ、母親が音楽喫茶をやっていたという環境。都会のアスファルトとともに暮らす少年少女の息づかいがカタカナ交じりの日本語でスピード感豊かに歌われていた。

   ロックはいつの時代も「若者の音楽」として生まれ、聞かれてきた。10代の少年少女の敏感な感受性や正義感から生じる亀裂や断絶は、ロックの主要なテーマになってきた。彼が掲げたのは新しい「世代の旗」だった。

   80年に彼が発表した2枚目のシングル「ガラスのジェネレーション」では、こう歌っていた。

   「ガラスのジェネレーション さよならレヴォリューション つまらない大人にはなりたくない」――。

   政治的なリボリューションを歌って挫折していった70年代世代との決別。壊れやすく傷つきやすいガラスのジェネレーションの歌は、新しい世代のロックの誕生を意味していた。そして、そんなバンドやアーティストが一堂に介する歴史的なイベントに「BEAT CHILD」と名付けたのも佐野元春だった。

タケ×モリ プロフィール

タケは田家秀樹(たけ・ひでき)。音楽評論家、ノンフィクション作家。「ステージを観てないアーティストの評論はしない」を原則とし、40年以上、J-POPシーンを取材し続けている。69年、タウン誌のはしり「新宿プレイマップ」(新都心新宿PR委員会)創刊に参画。「セイ!ヤング」(文化放送)などの音楽番組、若者番組の放送作家、若者雑誌編集長を経て現職。著書に「読むJ-POP・1945~2004」(朝日文庫)などアーテイスト関連、音楽史など多数。「FM NACK5」「FM COCOLO」「TOKYO FM」などで音楽番組パーソナリテイ。放送作家としては「イムジン河2001」(NACK5)で民間放送連盟賞最優秀賞受賞、受賞作多数。ホームページは、http://takehideki.jimdo.com
モリは友人で同じくJ-POPに詳しい。

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