聖武天皇が耳にした音が今、よみがえる 日本と朝鮮半島、久遠の音楽の歴史

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「日韓」関係は古くまで遡ればぎくしゃくした期間が短い

   野原には残念でならないことがあった。日韓関係は国民同士の交流がさまざまな分野で進み、密になっている。その反面、政治がぎくしゃくするたびに影響を受ける。日本の音楽史をひもとくと、古代に朝鮮半島から楽士がやってきて、大陸や半島の音楽を国内に伝えていた。長い歴史を見ればぎくしゃくしていた時期の方が短いのだ。野原は楽器の復元を通じて文化交流を続けることで、両国の関係作りにも貢献したいと思っている。日韓に共通する現代の音楽の要素を取り込んだ新作を作れば、新しい音楽運動を起こすこともできるだろう。

「日本と朝鮮半島の歴史をさかのぼれば、西暦453年允恭(いんぎょう)天皇が崩御した際に、新羅王が楽人を80名遣わしたという記録があります。554年には百済から楽人4人が渡来して百済楽を、612年には百済の味摩之(みまし)が帰化し、伎楽を伝えました。さらに684年の正月には高麗、百済、新羅の楽人たちが大極殿で演奏と舞を披露しています」

   それが長い時間を経て日本で発展し、現代の宮内庁雅楽部にまでつながっている。正倉院に収蔵されていたおかげで、現代の日本人は天平時代の箜篌がどんなものだったかを知り、復元楽器で音まで楽しむことができる。

   楽器の可能性に刺激されて、現代作曲家の一柳慧(いちやなぎとし)や石井眞木(いしいまき)らがたくさんの曲を書いた。箜篌は作曲家の好みに合わせて音階を調節できるという特徴がある。

「私が個人マネージャーとして仕事をした石井眞木の場合、一切西洋音楽のピッチに合わせませんでした。『西の響き、東の響き』を追求することが彼のライフワークでしたから」

   復元された楽器は古い音楽を蘇らせるだけでなく、まったく新しい音楽を生み出す力となったのである。

公益財団法人韓昌祐・哲文化財団のプロフィール

1990年、日本と韓国の将来を見据え、日韓の友好関係を促進する目的で(株)マルハン代表取締役会長の韓昌祐(ハンチャンウ)氏が前身の(財)韓国文化研究振興財団を設立、理事長に就任した。その後、助成対象分野を広げるために2005年に(財)韓哲(ハンテツ)文化財団に名称を変更。2012年、内閣府から公益財団法人の認定をうけ、公益財団法人韓昌祐・哲(ハンチャンウ・テツ)文化財団に移行した。

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