[あの夏の日の主役たち・3 氷室京介]
タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
伝説のコンサートというのは、そうなるべくしてなるいくつかの要因がある。
一つは、台風や嵐などの客観的な気候条件がそうさせる例だ。会場が浸水した、セットが倒壊した、あるいは、落雷で電源が消失してしまった、などの場合がある。
もう一つは、そのバンドやアーティスト自身の状況がある。バンドで言えば解散、あるいは休業、何十周年かというアニバーサリーというケースもそうだ。ソロ・アーティストで言えば引退だろう。もう二度と見られないという最後のステージが劇的でないはずがない。
中には、その二つの条件が重なりあってしまうこともある。
氷室京介の2014年7月19、20日の横浜スタジアム公演は、そんないくつもの起こりえないことが重なりあう壮絶なコンサートだった。
肋骨を3本骨折
氷室京介のソロデビューは、88年。2014年3月から始まったツアーはデビュー25周年を記念したものだった。彼がステージ上で突然「氷室京介を卒業する」と語ったのは、ツアーの最終日、7月13日の山口市周南市民会館でだ。理由は、もう何年もだましだまししてきた耳が最早限界に来た、というものだった。
アーティストにとって生命線の耳の不調。当日になってみないと状況が分からない。彼がライブ中に歌いながらしきりに耳のモニターに手を当てるシーンは、もう10年来の見慣れたものになっていた。それが、どのくらい深刻なものかを思い知らされる「卒業宣言」だった。
そのステージで最後の公演として予告されたのが横浜スタジアムだった。
スタッフも寝耳に水だったという決断が、ファンに衝撃でないはずがない。一日目のライブは、誰も予期していなかったであろう事態に、会場全体がこれから起こることを固唾を飲んで見守るという緊張感の中で始まった。
一日目のリハーサルで思いがけない事故が起きた。直前に降った雨に濡れたモニターに足を滑らせて転倒、胸を強打してしまった。その場で施された応急処置のままライブは終了。終演後の診断で肋骨が2本折れ、1本はひびが入っていたと判明、二日目は、ギブスと痛み止めという中でのライブとなった。にも関わらず、いつも以上の激しい動きで、ひびが入っていたもう一本も骨折。彼は直後にWOWOWで放送された特番での筆者のインタビューに「ボキっという音がした」と話していた。
肋骨が3本折れたまま行われたスタジアムコンサートというのを僕は知らない。
その日を見舞った異常はそれだけではなかった。
天候が激変した。
開演直後から上空を覆い始めた雨雲は曲が進むに連れ低く重く立ち込めるようになり、時折稲妻が混じるようになった。本編の終盤から降り始めた雨は、耳をつんざくような雷を伴い始め、アンコールの一曲目が始まった時には、不吉な黒雲が突然裂けたように豪雨になった。レーザー光線や様々なムービングライトが使われ、本来は相当に明るいはずの横浜スタジアムが真昼のような雷の光に浮き上がる。時折、どこかが感電しているような音が響き渡る。誰が見ても危険な状態の中でコンサートは中断した。
「横浜スタジアム周辺で落雷が発生しているため、コンサートは一時中断します」
そんなアナウンスの中で、3万人の観客が全員、屋根のある場所に避難させられる。その間も雨脚が弱まることがなく滝のように降り続く。僕が見ていたグラウンドのベンチは、瞬く間に浸水していった。
ライブは小一時間の中断の後に再開。痛み止めが切れたと思える氷室京介は明らかに左半身をかばうようにステージに姿を見せ、一日目の昨日、骨折していたことを告白。「この演出には参る」「命がけで贈りたい」と、デビュー曲の「ANGEL」を最後の力を振り絞るように歌った。
ずぶ濡れの客席と満身創痍の氷室京介。それは、"ビート"という武器で日本のバンドの概念を変えたバンド、BOO/WY以来、誰にも似てなくどこにも属さないという独自の道を歩き続けた彼の音楽人生の生きざまそのもののようだった。