渡辺美里、夏はあといくつあるのだろう
歌い続ける「まだボクはここに」

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   「あの夏の日の主役たち・1~渡辺美里」

   タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   誰にでも「思い出の夏」があるのだと思う。

   いくつになっても色あせない夏の記憶。

   年を重ねるにつれ愛おしさも深まって行く、あの夏の日々――。

   そんな夏の出来事の中に「コンサート」という舞台が日常的に登場してくるのは80年代の半ばになってからだ。屋根のある室内でのコンサートではない。夜の風に吹かれながら数万人の観客とともに楽しむ野外コンサートである。

   その先鞭をつけたのが、2017年7月5日に新しいシングル「ボクはここに」を発売した渡辺美里だった。

   彼女が初めて西武球場(当時)でのライブを行ったのが1986年。彼女は二十歳になったばかりだった。

夏の風物詩「MISATO TRAIN」

   70年代と80年代の音楽シーンは大きく変わった。

   それまでは長髪・反体制・アンダーグラウンドというイメージの強かったロックが、若者の音楽になった。普通に学校に行っている10代の男女の日常を歌う音楽として広まっていった。その先陣を切ったのが、80年デビューの佐野元春であり83年デビューの尾崎豊だった。

   中でも、尾崎豊の衝撃は今更語るまでもないかもしれない。デビューシングルが「15の夜」、アルバムは「十七才の地図」というタイトルが象徴している。世の中と相容れない10代の正義感や感受性が、そのまま音楽になっていた。10代のシンガーソングライターとして最速の野球場コンサートが85年夏の大阪球場だった。

   そんな幕開けを飾った女性が渡辺美里である。

   85年のデビューアルバム「eyes」には「18才のライブ」という曲もある。86年に発売された2枚目「Lovin' you」は、10代のアーティスト初の二枚組だった。彼女は19才。代表曲「My Revolution」を収録したアルバムの中には「Teenage Walk」「19才の密かな欲望」という曲もあった。思春期の女の子の夢や憧れ、社会への疑問や大人になることの期待や不安。二枚組アルバムそれ自体が、みずみずしい青春ドキュメンタリーのようだった。作曲陣の中には、人気絶頂だったシンガーソングライター、大江千里、ブレイク前のTM NETWORKの小室哲哉、デビュー前の岡村靖幸ら気鋭の顔ぶれが揃っていた。

   アルバムチャートは見事に一位を獲得。それ以来、93年のアルバム「BIG WAVE」まで7作連続で一位を記録、新世代のヒロインとして不動の存在になっていった。初めて買ったアルバムが「Lovin' you」という女性も多かったのではないだろうか。

   渡辺美里の西武球場ライブは、86年から2005年まで連続20年続いた。単独アーティストのスタジアム公演としては世界に例がないだろう。90年からは、観客の輸送のための臨時特別列車「MISATO TRAIN」も走行、夏の風物詩として定着した。89年には雷雨のために二日目が中止。豪雨と稲妻の中で「一番歌いたいのは私なのよ!」と涙混じりに叫んだシーンは、まさに途中からライブのタイトルになった「スタジアム伝説」そのものだった。

   2005年に「Misato V20 スタジアム伝説~最終章~NO SIDE」を終えてからも、河口湖、武道館と場所を変えながら行われていた「MISATO祭り」はデビュー30周年の2015年、新作アルバム「オーディナリー・ライフ」を携えた47全都道府県ツアーとして開催された。その中には「手を伸ばせば手が天井に届きそうな」ライブハウスもあった。

タケ×モリ プロフィール

タケは田家秀樹(たけ・ひでき)。音楽評論家、ノンフィクション作家。「ステージを観てないアーティストの評論はしない」を原則とし、40年以上、J-POPシーンを取材し続けている。69年、タウン誌のはしり「新宿プレイマップ」(新都心新宿PR委員会)創刊に参画。「セイ!ヤング」(文化放送)などの音楽番組、若者番組の放送作家、若者雑誌編集長を経て現職。著書に「読むJ-POP・1945~2004」(朝日文庫)などアーテイスト関連、音楽史など多数。「FM NACK5」「FM COCOLO」「TOKYO FM」などで音楽番組パーソナリテイ。放送作家としては「イムジン河2001」(NACK5)で民間放送連盟賞最優秀賞受賞、受賞作多数。ホームページは、http://takehideki.jimdo.com
モリは友人で同じくJ-POPに詳しい。

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