■「私の浅草」(沢村貞子著、暮しの手帖社)
沢村貞子(1908~1996年)と聞いて顔を思い浮かべられる方は、相当な御年配の方であろう。かつて小津映画などで名脇役として幅広い演技をこなした女優である。
平成元年の引退後、今世紀を見ることなく世を去った彼女は、銀幕以外にも粋な文化遺産を我々にもたらしてくれた。この本をはじめとする一連の随筆である。
浅草っ子の生き方、ここにあり
著者は、幼いころからの暮らしの一コマ一コマを思い出しつつ、短いエッセイを綴る。これが積み重なり、東京下町の人間模様が活写される。本書は、懐かしい江戸の言葉を随所に散りばめながら、慎ましく生きてきた人々の優しさを教えてくれる。そこには、恥を知り、足るを知り、己を知る人々が暮らしていた。
例えば、信仰にまで至らない、日常の心がけのような言葉がある。
「こんにちさま」である。著者の母親は、働きづめの理由を「こんにちさまに申し訳ないからさ」と言っていたという。著者の説明はこうだ。
「その日その日を無事に生きている以上、怠けていては<なにか>に申し訳ない...と、いつも胸の中で思っていた、そのなにかが<こんにちさま>という言葉になったのだろうと思う。」
謙虚で篤実な心持ちを顕す、よい言葉だとしみじみ感じ入る。今の浅草の女性もこの言葉を使うのだろうか。「お天道様」や「おかげさま」といった言葉が今も用いられているとすれば、現代の人々にもこうした心持ちの残滓はあると思うのだが、国が消費をほめそやす時代。実直に暮らすには、世間は眩しくなり過ぎた。
子育ても古き良き時代のやり方だ。子供の喧嘩は今もあろうが、著者はこう記す。
「ときたま、泣き声がきこえても、路地の家の親たちは、知らん振りをして、顔を出さない。もしのぞいたりすると、当の息子が、『...子供の喧嘩に親が出た、弱虫毛虫のヤーイ、ヤイ』などと、ほかの子供たちから囃したてられるし、ご近所に対しても、うすみっともなく、きまりの悪い思いをするからだった。」
そうやって昭和の子は社会性を培い、たくましく育ってきたのだろう。
平成の若者は、こうした摩擦と向き合う機会を親に奪われて育っている。それを世間は「ひ弱だ」「草食系だ」と批判するが、育てた大人の責任を思えば、批判は巡り巡って世間そのものに向けられる。そんな仕業は「うすみっともない」だろう。
戦前女性の切なくなる境遇
下町情緒を脇に措くと、本書は家父長制が厳しい時代の少女の記憶集でもある。
「貞坊」と呼ばれた少女時代の著者の境遇は、落ち着いた筆の運びと当人の健気さ故に、気の毒を通り越し、切なくなってくる。
「私は女の子だから、うちで、店屋ものをとるときの数にはいれて貰えない。父や兄のお残りときまっていた」「子供のころ、私はお雛さまを持っていなかった...(中略)...男の子の節句は、借金を質においても祝ってやらなければならないと思い込んでいた父にとって、女の子の雛祭りは、たいして気にかけるほどのものではなかったのだろう...」
等々。枚挙にいとまがないとはこの事だ。
よって、本書は下町文化遺産であるとともに、しなやかなる体験的家父長制批判の書とも読める。これがいくつかの社から出版され、細々とでも売れ続けていることは、健全なことと評者は思っている。
本書は、NHK連続テレビ小説第21作目「おていちゃん」(1978年放送)の原作となったと聞く。視聴した当時の人々は、何を思っただろうか。江戸情緒を懐かしむ人もあれば、恥の文化を思い出して少しだけ自分の背筋を伸ばした人もあっただろう。だが、家父長制を復活せよ、と思った人は滅多になかっただろう。
然るに現代日本では、家父長制復活の声は僅少ではあるものの、復古主義的な言動は寧ろ増えた印象がある。福澤諭吉の「門閥制度は親の敵で御座る」(福翁自傳)をもじって言えば、「家父長制は戦前の母の敵である」。現代日本最大の危機は少子化だと人はいう。だが、母を大切にしない国は、滅びるしかあるまい。
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)