「アメリカ独自音楽の祖」へのオマージュもうかがえる バーバー作「夏の音楽」

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   梅雨が過ぎると日本列島には暑い夏がやってきます。今日は、暑い夏に、さわやかさを感じさせてくれる室内楽曲、アメリカの20世紀の作曲家、サミュエル・バーバーの「夏の音楽」を取り上げましょう。

   映画「プラトーン」や各種追悼式で使われたことで知られる「弦楽のためのアダージョ」の作曲家として知られるバーバーは、1910年、ペンシルヴェニア州に生まれています。

  • S.バーバーの肖像
    S.バーバーの肖像
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「最後のロマンティスト」

   バーバーは、フィラデルフィアのカーティス音楽院で学んだあと奨学金を得てイタリア・ローマに留学します。2度の大戦を経て没落したヨーロッパとは対照的に、20世紀のアメリカは、国力の点で世界一の繁栄を誇りますが、歴史の浅い点だけは変えることはできず、多くのアメリカの音楽家は、ヨーロッパに留学していました。バーバーの同世代の作曲家、アーロン・コープランドやエリオット・カーター、オットー・ルーニングなども、"ヨーロッパ留学組"です。

   また、同時期に、世界大戦の主要な戦地となり、革命の争乱や、人種的迫害などがたびたびおこなわれた欧州を逃れて、新大陸にやってきた音楽家も少なくありません。作曲家だけでも、バルトーク、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ラフマニノフ、コルンゴルト、・・・かなりの数に上りますが、そのおほかに作曲はしない演奏家も大勢、旧大陸の混乱を逃れてアメリカにやってきたのです。そういった人たちの音楽も、当然、アメリカに影響を与えました。

   20世紀は、それまでの伝統的な和声などが使われなくなった無調の音楽や、楽譜に書かれた必然性を否定し偶然性を持ちこんだ、いわゆる「現代音楽」がヨーロッパから世界に広がった時期でした。バーバーは、その時代の中にあって、比較的伝統的なスタイルを好み、一部現代的なスタイルも取り入れたものの、多くは、19世紀のロマン派の音楽にも通じる形式で曲を作り続け、「最後のロマンティスト」とも評されました。

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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