スピッツ、決して売り渡さない自分達を! ビートパンク少年の30年後

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   タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   バンドとソロ・アーティストでは、「何周年」というキャリアの数え方が少し違う。つまり、バンドには「結成」という節目があるのに対して、ソロは「デビュー」から数えるしかない。「結成何周年」という呼び方はソロアーティストにはない。

   もちろん「デビュー」からの年数を重視するバンドもある。でも、スピッツはそうではないようだ。

「CYCLE HIT 1991~2017 Spitz Complete Single Collection-30th Anniversary BOX-」のジャケット
「CYCLE HIT 1991~2017 Spitz Complete Single Collection-30th Anniversary BOX-」のジャケット

マサムネは髪を立てていた

   2017年7月5日、結成30周年を記念したシングルコレクション「CYCLE HIT 1991~2017 Spitz Complete Single Collection-30th Anniversary BOX-」が出た。すでに出ている「CYCLE HIT 1991~1997」「CYCLE HIT 1997~2005」の2枚に新たに「CYCLE HIT 2006~2017」を加えた3枚組だ。91年のデビュー曲「ヒバリのこころ」から去年のシングル「みなと」までの全シングルと話題になった配信限定シングルに新曲3曲という45曲入り。でも、区切りはデビューの91年ではなく、87年の結成から30年と数えている。

   デビューより結成を重視する。バンドには、途中でメンバーが変わったりしている例が少なくない。スピッツはそうではない。草野マサムネ(VO・G)、三輪テツヤ(G)、田村明浩(B)、崎山龍男(D)の4人が出会ったのが1987年、それ以来、休止もメンバーチェンジもないままにここまで来た。始まりは「結成」以外にはないのだろう。

   新たにレコーディングされた新曲の中に「1987→」があった。4人が出会った当時のことを歌っている。草野マサムネは、こんなコメントを出している。

「バンド30周年のタイミングということで『ビートパンクバンド・スピッツの新曲』という想定で書いた」

   つまり、もし、自分達がビートパンクのバンドとしてデビューしていたらこんな曲をやっていたんではないか、という想定で書いた、というのである。

   スピッツが当初、80年代後半の日本のロックの一つの流れだったビートパンクのバンドだったことは知られている。90年代の雑誌「月刊カドカワ」の95年11月発売の「スピッツ」特集を見ていたら、メンバーのこんな発言があった。

   三輪「当時は必ず、穴の開いたジーパンにラバーソウルにケツ当てっていう格好だったよね。ステージも普段も」

   崎山「マサムネは髪の毛を立ててたし俺も金髪を立ててた」

   草野「本当にビートパンク野郎だったもんね」

   ビートパンク。その代表的なバンドがザ・ブルーハーツだろう。その雑誌の中でも、草野がブルーハーツに衝撃を受けてバンドをやる気をなくしていた、と書かれている。つまり、自分達はブルーハーツとは違う、と認識させられるところから始まった30年だったと言うと言いすぎだろうか。

もう夢は叶っている

   87年という年号で思い出すことがいくつもある。

   その年、日本の音楽業界で「ロック元年」という言葉が使われていた。反体制、アンダーグラウンドのイメージが強かったロックとは違う新しい世代。佐野元春や尾崎豊、ハウンド・ドッグやBOO/WY、ストリート・スライダーズやレッド・ウォーリアーズ。いずれも80年代にデビューした人たち。その中にブルーハーツもいた。

   87年の夏には、熊本県阿蘇の山中に約7万人以上を集めた野外オールナイトイベント「BEAT CHILD」や初の大規模チャリティロックコンサート「広島ピースコンサート」も行われている。中心になったのがそれらのバンドやアーティストだった。猫も杓子もバンドを組むと言われた空前のバンドブームの幕開けとなったのがその年だった。

   でも、その頃のバンドはもう存在していない。

   その年にスピッツは結成された。

   デビューしたのは、その4年後、91年だった。

   バンドブーム最後の世代、というと聞こえが良いかもしれない。むしろ、「乗り遅れた」ということになるのだろうか。デビューが決まらないまま地道なライブ活動を続けている日々は、一方でブームが崩壊してゆく過程でもあった。栄枯盛衰を目の当たりにしてきたバンド少年が彼らだったとも言ってよさそうだ。

   去年のアルバム「醒めない」の時のインタビューで三輪テツヤは「俺たち、夢はロフトに出ることでしたから、もう夢は叶ってるんです」と言った。

   やはり前出の「月刊カドカワ」の中で草野マサムネはデビューの時のことを「必要以上に多くの人に自分のことが知れ渡ることに対してものすごく構えていたし、警戒していた」とも話している。

   流されない。自分達を売り渡さない。安易な妥協も過大な対価も求めない。そんな軌跡は「「CYCLE HIT 1991~2017 Spitz Complete Single Collection-30th Anniversary BOX-」に刻まれている。

   「まさにスピッツ入門編ともいえる30周年45曲入り3枚組」――。

   アルバムの資料にはそんなコピーがあった。

   シングル、という形態がこんなに軽視されている時代はかつてなかっただろう。でも、収録45曲には、シングルだからこそ見えてくるものがある。彼らが何にこだわってきたか、何を歌おうとしてきたかを感じ取るヒントがここにある。

   7月1日から30周年ツアー「THIRTY30FIFTY50」が始まっている。今年はメンバー4人が50代を迎える年でもある。

   30年前、彼らがどんなビートパンク少年だったか。「1987→」を聞いて想像してみるのも楽しいかもしれない。音楽は年齢を超えて行く。

(タケ)

タケ×モリ プロフィール

タケは田家秀樹(たけ・ひでき)。音楽評論家、ノンフィクション作家。「ステージを観てないアーティストの評論はしない」を原則とし、40年以上、J-POPシーンを取材し続けている。69年、タウン誌のはしり「新宿プレイマップ」(新都心新宿PR委員会)創刊に参画。「セイ!ヤング」(文化放送)などの音楽番組、若者番組の放送作家、若者雑誌編集長を経て現職。著書に「読むJ-POP・1945~2004」(朝日文庫)などアーテイスト関連、音楽史など多数。「FM NACK5」「FM COCOLO」「TOKYO FM」などで音楽番組パーソナリテイ。放送作家としては「イムジン河2001」(NACK5)で民間放送連盟賞最優秀賞受賞、受賞作多数。ホームページは、http://takehideki.jimdo.com
モリは友人で同じくJ-POPに詳しい。

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