生き残った高級参謀が記した「本当の沖縄戦」―決戦か持久か、真相を知るのはただ1人―

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本土に生きる我々の責任とは

   摩文仁の丘には兵士の墓碑があり、北海道から沖縄県まで全県の兵士の氏名がある。多くの部隊が沖縄に転進してきた結果である。沖縄県平和祈念資料館とひめゆり平和祈念資料館を訪問すると、昭和十九年以降のできごとが克明に展示されており、なかでも、ひめゆり学徒隊の野田貞雄校長の展示が目を引く。

   3月29日、米軍の爆撃をかいくぐり、南風原陸軍病院の地下洞窟に赴いた野田校長(熊本県益城町出身、6月20日、53歳で戦死)は、卒業証書もない中、「米軍の爆撃下、ろうそくの灯火で行われる卒業式は、世界に比類をみないものである。教職の内示を受けた各位におかれては、任務を完遂し、速やかに任地に赴いてほしい。」との送辞を述べている。熊本出身の野田校長の胸中には、沖縄戦の待つ彼女たちの悲劇を見通しておられたのではないか。

   沖縄県の嶋田叡知事(兵庫県神戸市出身、43歳)は、周囲が止める中、昭和20年1月、米軍上陸必至と見られる沖縄への転任を快諾した。軍の作戦を有利に導くとともに、住民を守ることにまい進し戦死した知事は、作戦の行く末を十二分に理解していたのではないか。

   6月23日には、戦没者に尊崇の念を表すとともに、一日も永く生きようと立ち向かわれた方々、そして沖縄の今に思いをいたす。このことが、本土に生きるわれわれの責任ではないだろうか。

   それへの確かな手がかりが本書である。

(経済官庁 YK)

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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