家庭料理の再評価
料理で思い出すのは、先日起きた、蜂蜜を与えられた乳児の死亡事故である。一歳以下では、蜂蜜に含まれうるボツリヌス菌に耐えられないためという。
素人がレシピを持ち寄るサイトが契機と聞くが、甘い飲料を喜んで飲んでいただろう幼子の様子を想像し、親御さんの御気持ちを思うと、本当にやり切れない。
料理する人は、入念に手を洗い、清潔な布巾を使い、じゃが芋の青芽は取る。子に料理の手ほどきをする親御さんで、こうしたことを教えない人はあるまい。家庭料理は、先人の蓄積の上に、連綿と安全な食を提供してきたはずである。
ネット上のレシピもそうした伝承の集合知であれば良いが、そうとは限らぬところに陥穽があった。現在、当該サイトは蜂蜜の離乳食について警告文を出しているが、他の食材のリスクは大丈夫か。子供の健康と成長を願って料理に携わる若い親御さんに、どうか丁寧に寄り添ってほしい。
親心と言えば、『檀流クッキング』も、最後の数回を「オフクロの料理」に求め、連載を終えている。檀一雄の少年期を思い、その遺作が、主人公が愛人を作って家を出る自伝的作品『火宅の人』であることを思うと、この締め括り方には、一瞬、戸惑わされる。
だが、諸国放浪の料理を経て「オフクロの料理」に帰ることは、「父、帰る」と相似形だ。食べてくれる相手があってこそ、料理もその甲斐がある。檀の料理好きも、そうした振る舞う喜びや団欒と一体のものであるとすれば、その意識の中心には、放埓な生活をしつつも、やはり家族があったのかも知れない。本書の、否、料理の原点を垣間見る思いである。
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)