タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
「声が届く」というのは、こういうことを言うのだと思う。2017年5月7日、東京の鶯谷にある「東京キネマ倶楽部」で行われた竹原ピストル(本名・竹原和生)の全国弾き語りツアー「PEACE OUT」の初日を見ながら、改めてそう思った。
こうやっていれば誰かの目に留まる
竹原ピストルは、1999年に北海道の大学の友人とフォークデユオ、野孤禅を結成、2003年にメジャーデビューし、2009年からインディーズでソロ活動を始めたシンガーソングライターである。メジャーに復帰したのは2014年。今年の4月に発売した新作アルバム「PEACE OUT」は、オリコンのアルバムチャート5位。自己最高位を記録した。1976年12月生まれ。40歳にしての最高位は、異例の遅咲きということになる。
「東京キネマ倶楽部」は、かつてはグランドキャバレーだったという東京には珍しいレトロな雰囲気の会場。客席に少なくなかった若いカップルの姿は、彼の今の受け止められ方を象徴しているようだった。Tシャツにバンダナ、生ギターとハーモニカ。汗を飛び散らせて叫ぶ姿には、テレビから流れてくる音楽では伝わらない人間味が溢れていた。
レコード会社の資料には、インディーズ時代に彼がギター1本で全国を歌って回ったライブ活動が年間250本とあった。彼は、筆者が担当するFM NACK5の「J-POP TALKIN'」(土曜日22時~22時30分)のインタビューで、「実は280本だったこともあります」と笑った。
当時はマネージャーもおらず、ギターを車に乗せて自分で運転して次の街へ向かう一人旅。アルバムの1曲目の「ドサ回り数え歌」は岩手県の久慈市にあるライブハウスの楽屋で「ふっと寂しくなって」書いた歌だと言った。「ツアー」というより「ドサ回り」。そんなに洗練されたものでも組織化されたものでもない、もっと泥臭い旅だ。
「でも、ライブは好きですし、苦だと思ったことはないんです。体力的な自信もないわけじゃないし喉も強い方だけど、しおれたらしおれたまま歌えばいいと思うから、声が出なくなったらという怯えはないです。どっちに進んでるか分からない時も毎日楽しかった。こうやってれば誰かの目に留まると。松本人志監督もそうでしたし、そういうところに希望を持ってましたね」
こうやっていれば誰かの目に留まる。2011年に監督した映画「さや侍」に彼を起用した松本人志も、そんな彼を見ていた一人だった。去年は、「永い言い訳」でキネマ旬報ベスト・テン助演男優賞も受賞、俳優としても今、注目されている。
歌わなければいけない理由がある
アルバム「PEACE OUT」には、彼が北海道時代に小さなライブハウスを回っていた頃の歌「ママさんそう言った~Hokkaido days~」がある。札幌や函館などの都市だけでなく、名前と場所が一致しないような小さな街、ライブハウスとは言えないスナックも含んだ24か所。「歌わせて欲しい」と無理矢理の頼みをきいてくれたママさんへの感謝の歌。「さぁノックアウトしといで」と言ってくれた彼女に「必ずチャンピオンになって帰ります」と誓う歌は、学生時代にボクシングの全日本選手権にも出ていたという生きざまそのものだろう。
「チャンピオンが何かは、今も分かってないですね。便宜上使ってます。少なくとも自分から言うもんじゃないし、言わないでしょう。応援してくれた人が決めることじゃないでしょうか。ただ、歌わなければいけない理由があるから歌う。その切実さはありますね。甘えたことを言うわけじゃないですけど、歌以外、上手に出来ない。人の役に立つことが出来ないんです」
アルバム「PEACE OUT」の主人公は、トーナメントにもあみだくじにもエントリー出来ず、良い兆すらなかった(「俺たちはまた旅に出た」)。自分も含めた「ボンクラ」たちへの叱咤激励の様なエール。
5月7日から始まった「弾き語りツアー」は、年内70本以上が決まっている。この先も追加されるはずだ。もう一人で運転するひとり旅ではなくなっている。でも、ギターを持って素手で客席と向き合う関係は変わらない。
生身の声と身体。生きざまと人柄が滲み出た声と言葉の説得力――。
声が聞こえない時代だ。
誰も肉声で語ろうとしない。
そして、力なき人たちの声が届かない。
時代が彼を求めている。
(タケ)