どの楽譜がショパンの真意なのか?
他の作曲家の作品でも、校訂者・出版者の違いによって楽譜の音符や強弱記号が若干違うことは、時々ありますが、ショパンの場合は、「そもそも自筆譜が複数ある」という事情がかなり影響しています。楽譜校訂者は、大抵の場合、複数の「ショパン自筆とされる版をくまなく検討して」決定稿を仕上げた、と書いてあります。どうして、そもそもの「自筆譜」が複数、しかも違う音のものが存在するのでしょうか?
・・それはとりもなおさず、ショパンのおかれた悲しい境遇によるのです。彼は、フランスに暮らす亡命ポーランド人でした。彼が生まれ育った祖国ポーランドは、彼の青年期にロシアに占領されてしまい、傀儡国としてのポーランドになってしまいました。ショパンのパスポートも切り替える、という通達があったのですが、彼は毅然としてそれを拒否し、亡命ポーランド人となることを自らフランスの地で選択したのです。
祖国が消滅し、異国の地で生きてゆくために何より頼りになるのはお金です。ショパンはもちろんピアノレッスンや演奏会でも収入を得ていましたが、作曲家ですから、作品でしっかり稼がなければなりません。完成した作品を、地元フランスの出版社に売り、そして、しばらくしてから、国境を越えたドイツの出版社に売る・・・そのころ著作権の概念は成立しつつありましたが、まだまだ国境を超えて守られるものではなかったのです・・・というようなことをして、少しでもお金を稼ごうとした形跡があります。今ではメールやFAXで瞬時に送れますが、当時は、外国との交渉連絡からして手段は手紙のみ、ショパンが、地元とは違う外国の編集者に楽譜を送るまでの時間で、少し推敲して手を加えたくなったとしても不思議ではありません・・。
かくして、ショパンの「自筆譜」が、同一曲でも複数存在することとなったのです。後世の演奏家は、「どれがショパンの真意?」と複数の楽譜の前で悩んだりしますが、異国の地で、楽譜を少しでもたくさん売ろうとしていたショパンとその周囲の困難な仕事を思いやることが、本来必要なのかもしれません。
本田聖嗣