今日は、曲、ではなく、楽譜について取り上げたいと思います。
19世紀に入り、ロマン派の時代、クラシックの歴史は大きく転換しました。それまで、音楽家は宮廷や貴族といった人たちに雇われて、その雇い主に向かって作曲し、納品すればよかったのですが、度重なる革命や戦乱によって、ヨーロッパの王族貴族社会が軒並み力を失うと、雇い主というより自分のために作曲する芸術家としての作曲家が現れてきます。
しかし、すばらしい芸術を作り出しても、それがある程度のお金にならなければ現実問題として生きてゆけないので、作曲家は、一般大衆に向けて楽譜を売ることを考えるようになります。時あたかも、ブルジョワ市民階級が勃興し、貴族社会にあこがれている彼らは、宮廷風の音楽を自宅で演奏することを好んだりしていましたから、需要と供給がバランスしつつあったのです。
著作権の概念はイギリス「王家」から
注文主ではなく、不特定多数の興味を持ってくれた人たちに向けて、作曲作品を楽譜で売る・・・当時は当然ですがまだオーディオが無かったので、「音楽を買う」ということは、楽譜を買って自分で演奏してみる、というのに近いことだったのです。となると、作曲者側が敏感になるのは「著作権」です。著作権という概念は、もともと文字の出版物の海賊版を防ぐために、「王家による出版権」としてイギリスでスタートしたものが源流になっていますが、書き手だけでなく、画家にとっても、作曲家にとっても、自分が苦労して生み出した作品を勝手にコピーして売り出されたら困ります。音楽に関しては、印刷技術の普及と、一般市民に楽譜を売る、ということで著作権が成立したのです。
作曲家の楽譜、というのは、作曲家自身が書いた自筆譜、それを出版社に渡す準備稿、そして、校訂者が監修した印刷譜初版、そして、それの改訂新版・・・と印刷し広く出版するためにはいくつかの版を経ることになりますが、結局は作曲家と校訂者の共同作業として、世に出ることになります。
ピアノの作曲家として有名で、日本でも人気の高いショパンなのですが、彼の楽譜は、現代では、日欧いろいろな出版社から発行されていて、少しずつ中身が違ったりします。音が場合によっては違っているので、世界的な演奏家の作品を聴き比べても、使っている版によっての違いに気づくことができるぐらいです。あんなに有名なショパンの曲なのに、なぜ、それほど違うのでしょうか?